※最初に断っておきますが僕に政治的偏りはまったくないです。
というか、むしろまったく関心はないのですが。
なんだかここ最近の言動観てると大爆笑なので書いてみます。
しかし今回の安倍ちゃんの発言はどうでしょう。
『テロ特措法もどきの新法を成立させることに職を賭す。
それができなければ、職責にしがみつくことはない』
ぶふっ。そこか?そこなのか?
政治家にとってジョーカーみたいな自分の職を賭けるとこて。
そこでいいのかと。
※しかも『職責にしがみつく』って日本語おかしいでしょ。
『職責』は負ったり全うするものであって、しがみつくものではないし。
いやまあ。そもそも自衛隊がインド洋で給油活動するって。
中東和平と米軍規模から見ればどうでもよい小さなことだけど、
日本の対外(ていうか対米)。外交を考えればとっても大きなこと。
でもそれが自国民にどれだけ評価されるかっていえば。
マスコミの努力の甲斐あって、むしろマイナスなのではないかと。
民意をまったく読めてない、理解できてないてことが、
参院選で痛いほどわかったはずなのに。
なのに、『不退転の決意』を表したのが、特措法継続て。。。
はあ。空気読めないにもほどがある。
与党のみんなは、ぽかーんとしちゃうし。
野党のみんなは、大喝采。
だからこっちは大爆笑。
いやしかし。ぜんぜん悪いことではないのにね。
成立すればそれなりの国益はちゃんとあって。
しかも、どっかの族議員みたいに、
自分に票なり金なりが入る政策立案でもなし。
むしろ偉いことなのかもしれないけどね。
でもそんな偽善的余裕を見せる前にまず票集めてみろと。
政治家ならば。
はああ。どっちでもよいけれど。
票集めが政治家の一番大事なお仕事になってしまってる
日本の政治システムの中で。
こんなにも場の空気読めない人が首相て。
どうして成り立ってるのでしょう。。。
摩訶不思議です。
意外にも問い合わせが多いので。
石垣島のラー油ちゃんは、
やっぱり石垣島で買えます。
八重山郵便局沿いに工房があって、
地元のおばちゃんたちが、詰め詰めしてます。
一人2本までの限定販売です。
でも実は、都内や横浜横須賀でも買えたりします。
というとありがたみがないので、どうしましょう。
でも実は、●●や横●横●●でも●えたりし●。
でどうでしょう。
石垣島は、那覇から300km。
東京よりも台北のがぜんぜん近い。
ところで。
今クールの僕のテレビ日課は、というか週課は、
あいかわらず、水戸黄門とあいのりの2つなのですが。
今日のあいのりは、如何でしょう。
台湾あいのり講座では、
「日本人大好き、台湾人の謎」と称して
日本の同化政策が、台湾を豊かにしたと、
思いっきりテロップに書いてしまったり。
はたまた親日家と称するおばあちゃんを、どこからか見つけてきて、
「私日本大好きです。自分のこと日本人と思テマス」
なんて発言をさせてみたり。
これは僕なんぞがいちいちつっこむまでもなく。
放送倫理検証委員会様も、エッチな番組ばっかり取り締まってないで、
こういう頭の悪い放送にケチつければよいのに。
先生は怖がって歴史を教えてくれないし、
テレビでは間違った歴史を教えてくれるし、
こんな子供が大人になって政治家にでもなってしまうと、
またわけわからない発言をしちゃうのだろうなと。
負のスパイラル。歴史認識編です。
繰り返しになりますが。
「夏休みはアジアデビューしたい」というあなた。
日本もアジアのはしくれなのです。
イエメンについて考える。
これほどまでに美しい町並みを見たことがない。
日干し煉瓦で作り上げられた箱庭のような街。
サナア旧市街。
1000年の歴史と1000のモスク。高くそびえるミナレット。
かつて幸福のアラビアと呼ばれたこの国は、
今は中東にありながら石油の出ない貧困国。
アジアのような陰湿な貧困を目にしないのは、なぜなのか。
イスラムの教えに則り、
隣国のサウジやUAEから、ありあまったお金が流れているのか。
それとも旅行者の僕にはわからないように。
その貧困をチャドルのように覆いかぶせる力が働いているのか。
いやそもそも。貧困など存在しないのかもしれない。
車も走り、ケータイもある。
ただどこか。彼らは1000年前と同じなのだと思わせる。
世界が発展していく中で、彼らは彼らの生活を、守り抜いてきただけなのだと思う。
そして腰に差したジャンビーアは、やっぱり彼らの誇りなのだと思う。
学生生活ももう終わり。
大学生を称して
『お気楽な商売』という言葉を使うことに賛否両論。
反応を頂きましたが、僕なりの解釈を。
学生時代は、夢が見続けられる。という一点において幸せ。
小学生のころ、野球選手になりたいのと同じように。
自分の可能性を信じ続けられます。
もちろん社会人になろうが夢は持ち続けられるものですが、
現実と向き合う時間は長くなります。
学生時代にどんな過ごし方をしようが、
一生懸命遊ぼうが、社会について学ぼうが、趣味に生きようが、
イベントを起こそうが、会社を興そうが、恋愛に生きようが、
それは所詮、モラトリアムなパラダイスの中での出来事。
仮の姿。
外の世界、社会に放り出された時は、
未来じゃなくて今。
『将来』じゃなくて、『現実』と対峙する。

そのとき何が残るのか。
初めて真価が問われるんだと思う。
だから社会人にはなりたくなかったんだけど。
でも、これは考えようによっては、めっちゃ面白い。
M気のある僕にはよいことかもしれません。
ちょっと昨日の続き。
おじさんが本を送ってくれた。
昨日、日記書いて、
今日、本を読んでたら興味深いものがあった。
そこから少し抜粋。メディア関係で。
視点の不均衡。
アフガン空爆をニュースで解説していた。
どこの都市で空爆や戦闘が行われているのかを
地図を使って説明していた。
その視点は誰のものか。
アメリカの人工衛星からのものである。
爆弾を落される側の視点に立った映像はなかった。
貿易センタービルが破壊された時、
カメラはその視点にあった。
心の不均衡。
「9.11テロは"私たち"にとって
忘れがたい歴史となるだろう。」
というニュース番組の解説者の言葉。
"私たち"って?
アフガン空爆は?パレスチナ人は?
私たちの歴史ではないのか。
まさしくその通りだと思う。
そういえば、この日記の終戦記念日バージョンを見て、
大なり小なり反応があった。
さきに言っときます。また幼稚で偽善的な文章書きます。
わかる人はわかれ。わからない人はもういいよ。
9.11テロ、アフガン空爆、イラク攻撃、
なんでみんなこんな大きな争いが起こるごとに、
Web日記で「反戦」とか謳っちゃうんだろ。
って僕も本気でそう思うような人だったから、
急にあんなこと書いて、
びっくりしたってのもあるんだろうけど。
でもね、旅先で会った人に教えられたり、
あるいは、そういう関係のHP見たり、
アパルトヘイトの国にいて思う。
大学生って嫌だな。
大学生に限ったことではないけど、
たぶん中途半端に
クダラナイ知識がついてしまったんだと思う。
とりあえず、批判するのがかっこいい?
自分の気持ちを素直に表す人をあざわらうの心地いい?
人を助けたいとか、幸せにしたい。
とか、そういう考えは幼稚なの?
面倒くさいから詳細は書かないけど。
「概念形成という名の罪」って、ある人が言ってた。
とりあえず、批判して、
わかったようなこと言うのはめちゃくちゃ簡単。
僕も今までそういう人間だったから。
いや、まだそういうとこあるけど。
とにかく上から見下ろして
冷静に分析してるフリしてモノを言うのは簡単。
当事者の視点にたって考えるほうが難しい。
ただ目の前にいる困った人助けたいんだって。
罪もない人たちが殺されてくことが許せないんだって。
誰の前でも言いいきることの方がむちゃくちゃ難しい。
小学校の時、道徳で習ったでしょ。
いや、その前に親からもしっかり教わったはず。
もしも、性善説が正しいとして、
他人のことを本気で想う人が、
無知なヤツだと批判されるの時代なら、
今は人間として生きるほうが難しい。
反対デモを起こそうとする人も、
物乞いにお金を渡す人も、
それらを馬鹿よばわりする人たちも、
全部イケてる先進国の人たち。
一億二千万の子供たちは学校に行けないし、
その前に食べれずに死んでくし。
そんなの知ってるよ。
本気になって救おうとするならば、
先進国の人たちが、
ご飯を買うお金、ビリヤードをするお金、
新しいファンデを買うお金、クスリを買うお金。
ぜんぶ、あげても足りないし、
ぜんぶあげることはできないし。
でもね、見たこともない、遠くにいる人のこと、
想える気持ちはとっとこう。
「かわいそう」って思える気持ちはとっとこう。
↑ あ、日本語って確かに難しい。ひどい。
「がんばれ」もそうだけど、
「かわいそう」もNGワードですね。
てか、またこういうこと書くと、
またつっこまれそうだな。
でも、大丈夫、僕はまだ「偽善者」でしかないので。
今、日本は朝9:30。
58年前の今日、戦争が終わった。
戦争について、いろんなこと言われてはいるけれど、
日本でも平和教育なるものは一応、
なされていると思う。
でも、そのせいか、きっといろんなイミで
戦争と遠い国だとも思う。
別にそのせいじゃないけど、
あんま今まで考えたことはなかった。
おじいちゃんに赤城での話を聞いたり、
おばあちゃん家の近くに防空壕があったり、
家の近くには米海軍のベースと自衛隊の基地がある。
でも、僕にとっては、遠い記憶だった。
今日、日本人からもらった日本の新聞を見てたら、
イラクの戦後復興、米軍改革、
北朝鮮拉致、ドイツの追放記念館、
そして本の広告「ひろしまのピカ」。
たぶん小学校のとき図書室で読んで
キモくなってやめたやつ。
人が人殺すことが今でも続いてる。
多くの名もない、でもそれぞれの主役達が死んで、
家族や友人が悲しんで、
そういうのがでっかい単位で重なってく。
それが戦争。
ふと、あの街を思い出した。
静かで、やわらかで、あったかくて、
包みこまれるような、
すべてを受け入れてくれるような包容力のある街。
長崎。ある夏の日。
同じようにゆったりと流れていたであろう時間に、
突然、落ちたモノ。
誰が落としたのかはどうでもいい。
人が落としたモノ。
天気が悪かったから?あの街は地獄になった。
地獄があった。人を人じゃなくした。
58年前の今日、戦争が終わった。
友達に聞いたら韓国では独立記念日らしい。
58年前。
あと2時間後、ラジオの前でうなだれる姿が浮かぶ。
すべてを失くし何を思ったのか。
加害者であり被害者たちは。
といいつつも、
別にイラクの人が爆撃受けてるとしても、
僕はまだ何もしないけど、
わかった風なことならいっぱい言えちゃう
大学生なんだろうなと。
今日は、前から見たかった映画をやっと見れた。
家でだけど。しかもDVDしかなかったので、
PCでしか見れなかった。。。
CRY FREEDOM 邦題「遠い夜明け」
ってな映画。
南アフリカ共和国のアパルトヘイトと闘った
黒い人と白い人の友情を描いた作品。
「ビコ」っていう原作は、ホントの話らしい。
そして最近気になってしょうがないのが、
フリーランスのジャーナリスト。
ちょうどテレビ(日テレ)で特集を組まれてた。
36日間に渡る米軍の従軍取材の裏側とか、
パレスチナホテルでロイターのとなりの部屋にいた、
ジャパンプレスの人たちとかの特集。
「正義」の侵入者と「悪」の被害者、
それぞれの立場で苦悩と矛盾を抱えながらも
取材を続けた彼らのヒューマンドラマ(仕立て)です。
メディアが存在しなければ、僕らは何も知りえない。
自分の身の回り、生活範囲のことしか知りえない。
ある意味、メディアが僕と世界をつないでる。
でもね、メディアが過剰な演出すればするほど、
筑紫さんとか、久米さんとかがね、
「ほらみて、こんなにかわいそうでしょー。
バクダット市民とか、北朝鮮国民とか。」
って言えばいうほどね、納得はするんだけどね。。。
それを鵜呑みにしたところでね、
なんか実感としてわかない。
映像がライブで入れば入るほど、
想像力の入る余地はなくなるしね、
感想まで提供してくれればくれるほど、
他人事だと思って、逆に距離おいて見えちゃうのよ。
こうなると、メディアは僕と世界の間に入り込んでる
衝撃緩和材、あるいは防音壁、断熱材よ。
ってことでね、
今日の映画見てもあんま何も感じれなかったのを、
メディア論にすりかえて、人のせいにしてみました。
ニュース報道見てさ、
すべてがわかったつもりになったおじさんとかさ、
本一冊読んでさ、
世界の裏が読めたような顔してる大学生とかさ、
どうなんでしょ。
かくゆう僕も、
ビデオ一本でアパルトヘイト政策を自分のネタに
しようともくろんでたわけですが。
そんな感じで。後味わるい日記でした。
資本主義は勝ち組と負け組にわかれちゃうからさ、
きっと、白い人はレースが始まる前にさ、
いっぱいハンデをつけてさ、自分を少しでもゴールに
近づけることで精一杯だったのさ。
そういえば、こないだ小熊っちも言ってた。
重要なのはそれが正当な、平等なレースだって、
みんなで納得すること。って。
いや、そういった意味でさ、
80年代、勝ち組だった黄色い肌の日本猿は凄いと思う。
まあ、何色の肌だろうがね、あんま関係ないといいね。
しいて言うなれば、勝ち組とか負け組みとか、
そんなんじゃない物差しあったら楽しいのにね。
ばぶーん。
今日はチベット族の集まりで六本木へ。
ラサからカトマンズまで道中を共にした皆様。
どこまで自分をまげられるか、
就活最前線のマッキー。
実はとっても、いい意味で感情的な、
夜の女帝、あねご。
ほどよいひねくれかたの、
忍者はつとりくん。
ハツトリ君は大学一緒だけど、他の二人は
およそ半年ぶりの再会。
日本で会うのは初めてだけど、やっぱりみんな、
かわってないな。って安心できたりもする。
もうちょっと、昔話に花を咲かせたかったけど、
アネゴと共に反戦デモに行くことに。。。
反戦なんて高尚なことあんまし考えてもいないのに、
物見がてらに行ってしまう自分にまた自己嫌悪。
六本木から日比谷公園まで旗もって歩く。
やっぱり、と言うべきかデモのために交通は遮断され、
お巡りさんもかりだされ、迷惑そうだった。
アメリカ大使館前では
10人くらいの人が寝泊りしてた。
なぜか関係のない
住基ネット批判のパンフも配られてた。
某NPOの主催メンバーと知り合った。
悪い癖だが、僕は興味のない人に近づきたくない。
どうしても酒を片手にデモに参加してる人とは、
話なんかしたくない。
直さないといけないんだけど、ずっと黙ってた。
でも、ハツトリ君は偉かった。
本気で食いかかってた。
「戦争ってダメですか?」って。。。
最近みんなのHPに戦争関連のことがいっぱい
書いてあるけど、正直僕には難しすぎてわからない。
だって、メディアの伝えることが真実でないとしたら、
こんな離れた国で、現地のことなんてわかんないもん。
戦争はダメって。みんな思う。僕も思う。
じゃあどうすればいいんでしょ。
独裁国家を民主的な手段で平和的に
解体させるチカラなんて、国連はおろか、
どの機関もどの国も持ってない気がする。
だったら、当該国の市民たちの自助努力とか、
あるいはもっと平和的な解決を望むとかで、
そのまま放置しとくのが"平和"なのかしら。
世界では紛争って実はずーっと続いてて、
コンゴの内紛とかは、どうやら
今回のイラクよりも死者数多いらしい。
今まで、自分中心に世界回してきた先進国が
途上国とか犠牲にしまくってきた先進国が、
いっせいに反戦ムード一色ってのもなんか、
環境問題-京都議定書の一件と
なんだか重なっちゃうのよね。
誰がイラクみたいな国つくって、
誰がアメリカみたいな国、のさばらせてるんだろ。
反戦運動ももっと、自分の国のありかたとか
自分の生活のありかた問いなおすことから始めたら、
もっと賛同できるのかなって思う。
まあ、たとえ途上国の人々を犠牲にしても、
今の生活水準を落とすことはできないだろうけど。
てなことを書いてたら、
やっぱり人の痛みなんてこれっぽっちもわからん
人間なんだなって思えてきた。
批判することからでしか、
自分の意見を確立できないのかな。嫌なやつ。
ノーマンズランドとカンダハルを見た。
人間はすごいな。
アフガンでの地雷は、殺すことが目的でなく、
障害者を増やし、社会崩壊を誘発するため、
わざと、火薬量を減らしたものがあると
聞いたことがある。
つくづく人間はすごいなと思う。
しかし、そもそも"人間"なんて種族はいない。
ビデオが終わり、切り替えたテレビで
ミュージッククリップが流れてた。
この中に生きる人と、先の不完全な形をした人を
人間なんてひとくくりにできるわけない。
それ程までに、この世界は理不尽で不平等。
人間なんてひとつの言葉に押し込めるのは極めて傲慢。
人と人とが争うのが不幸なのではない。
人が自分の幸福を追い求めることが不幸なのだ。
国連のよく使う"人間らしい生活"とか
アメリカの好きな"人道的軍事介入"とか
何を言ってるのかさっぱりわからん。
彼らの言う"人間らしい生活"って、文明的で衛生的で
誰にも抑圧されず、差別も受けず、従って人に優しく、
身近に死がない暮らしってことでしょ。
でも、"人間らしい生活"って、結局、他を差別し、
虐げ、迫害し、おいやり、殺し、そういうことを
繰り返しやってきた結果、得られた生活じゃん。
そんな僕達が"人道"語る資格あるわけないし、
それ振りかざせば、虐殺的に人殺せるっていう、
世界のルールもよくわからん。
って、無責任な知識人ぶってるニュースキャスター
みたいなこと言っちゃった。。。反省。