せっかくがんばってつくったので、
ホームページ更新のお知らせをしてみたら、
貴重な時間を使って見てくれた人たちからの
感想メールがいくつか届いてる。
旅で出会った友達からのメールも多いんだけど、
そんなかで写真について書かれてるのも結構ある。
なかでも、写真科に通ってた人から褒められたのは
素直にとっても嬉しかった。
写真は撮る人の心を映すという。
イイモノを狙って撮るってよりも、
純粋な気持ちで撮る事ができるから、
子供たちの純粋な笑顔が捉えられると。
確かに、写真を撮ることだけを目的に近づけば、
子供たちは笑顔を見せてくれないことが多い。
けど、僕がキレイな気持ちだけで写真を撮ってる
ってのは、ウソな気がする。
イイモノを撮ってやる。
っていう卑しい気持ちがどっかにあるのも本当。
いや、
そもそもカメラなんてまともにやったことないし、
なんのこだわりがあるわけでもない。
でも、ちょっと写真について考えてみる。
出来上がった写真が、
自分で見たものよりも妙に陳腐に見えたりして、
こんなもんだったっけ?
って、写真として残したことを後悔することもある。
だから写真を撮らない人もいる。
でも、僕は写真を撮る。
写真は音楽とおんなじで、情景だけじゃなくて、
匂いとか音とか、空気とか気持ちとか、五感全部で
感じたものを、感覚的に呼び起こしてくれる。
日常生活で、ココロのどっかにおいやってしまった
記憶を解く「鍵」になる。
僕は、自分の記憶とかそういうあやふやなもの、
だけに頼れるほど強くはない人間なので、
写真として残すことを好む。
だから、なんか嬉しいこととか、すごいこと、
感じたら、写真は撮るようにしてる。
でも、撮らないこともある。
正確には撮れないんだと思う。
ポタラ宮の内部とか、チベットの古い寺院とか、
あるいは、家を出たとき見上げた空とか。
あの質感、荘厳さ、静けさ、匂い、あたたかさ、
はりつめた空気、果てしないほどの奥深さ、
そういったものを一枚の写真に収める自信はない。
だから、撮らないんだと思う。撮れないんだと思う。
そこまで考えるとひとつわかった。
僕はたぶん、本当にココロに響いたものは、
写真に残してはいないんだろうなと。
残せてはいないんだろうなと。
アルバムのページ見てて思った。
その写真と写真の行間にあるもの、それこそが
僕の本当に撮りたかったものなのかなって。
とりあえず、そんな感じです。
今はうまく言えないけど、来週にでも、
再会したときに、もう少し、煮詰めてこーよ。

