やらなきゃいけないことが、たくさんある。
やりたいことも、たくさんある。
でもやんない。やれない。
なんででしょ。根性ないし、面倒くさがりだから。
今まで、やりたいこと全部してきたかというと、
そうじゃない。
羞恥心や猜疑心ばかりが先ばしって、
手を出せないこともいっぱいあった。
だからといって、
コツコツ勉強とか我慢してバイトとか、
あんましたことない。しなきゃいけないのに、
根性がない。
目の前にある虚構の幸福がいつも優先。
いや、そもそもやらなきゃいけないことなんて、
ひとつもないのかも。
これまでやってきたことも、
これからやるであろうことも、
全部自分のためにしてきたことだけ。
良くも悪くも自分で選んできたものだけ。
人に言われてしたことや、
人のためにしてきたことなんて、
これっぽっちもないと思う。
勉強だろうがバイトだろうが、
遊びだろうが恋愛だろうが、
全部、自分自身のため。
見返りをもとめ、対価をもとめ、
楽しみ、苦しみ、手抜きをし、
それは全部、自分自身のため。
だから、僕がやるべきことや、
いやいややってきたことはすべて、
自分で選んでしたことだけ。
自分のためにしてきたことだけ。
なのに、なんでできないのでしょ。
行動にうつすこと。
やりたいことすること。
したくないこともすること。
すっごく難しい命題。
前にどっかで聞いた言葉。
できないのに、しようとする人。
できるのに、しない人。
平均的日本人である僕が、できないことはなにもない。
にもかかわらず、この目の前に広がる自由を、
これまで、どれだけ謳歌してきたんだろ。
これから、どれだけ行使できるんだろ。
関係ないけど、どうしてもタバコはやめられないな。
就活は日本社会にとって、重要な行事だと思う。
モラトリアムとはよく言ったもので、
4年間遊びほうけてた大学生が、
受験勉強以来、学校名とか偏差値とか、
そういう着ぐるみを全部はがされる「辛さ」を
久々に経験する重要な行事だと思う。
たぶん、それがなかったら、就職してから、
「なんで遅刻しちゃいけないの?」って真顔で
上司に尋ねる卒業生が出るだろうと思う。
だからといって、僕は就活は絶対的に嫌い。
就活せずに就職する方法はないのだろうか。って
真剣に考える今日この頃。
留年した僕にとって、同じ年に入学した友達は、
まさにいま、就活真っ只中。
エントリーシートとか、面接とかって、
努力とか、対策とかが、まったく役にたたないと思う。
それで落とされたら、すなわち、
自分が否定されるのと一緒。
大学落ちるよりも、精神的にきついと思う。
それだけの思いをして就職すると
何が待ってるのでしょう。
学生と社会人の一番大きな違いって、
未来に希望をもてるかどうかだと思う。
学生のうちは、なんの根拠もなく、
将来でっかくなってやる。なれるだろ。
くらいの自信を持つことができる。
小学生からくらべれば、歳を重ねるごとに、
現実が妙に近づいてきて、
描けるユメってのはどんどん狭まってきてる。
特に保守的な僕なんかは、一度入ったら、
同じ会社で一生過ごすと思う。
だとすると、就職してしまったら、
どんなに努力したところで、
最終的に部長になるのか、課長になるのか、の
違いくらいしかないと思う。
だからこそ、みんな今、がんばってるんだろうな。
ある意味、就活は、自分のこれからの何十年かを、
大きく変えれる最後のチャンスだと思う。
それを逃したら、
給料の範囲でしかユメなんて描けなくて、
あっつい人生論なんて語れなくなって、
変えられない現実にあたまを下げることしか
できなくなっちゃう。
そのための就活でもあるのかもしれない。
たぶん、僕がいま、こんなこと書いても、
社会の厳しさなんて何にもわかってない、
青くさーい精神論にしかならないんだけど。
だから来年、就活にもまれてみたら、
そんなこと言ってる余裕なんてなくなって、
そんなこと言える自信なんてなくなって、
そんなこと考える意味だってなくなってしまうと思う。
だから、社会に出る準備としての就活で、
そういう"甘ーい邪念"をふっとばすんだと思う。
そのための就活でもあるのかもしれない。
だからこそ、いくつになってもユメを語れる人って
すっごくステキに見えるんだと思う。
だからこそ、自分を見失わないために、
自分を持ち続けるために、魅力を失わないように、
みんなにはせめて希望の職種に就いてほしい。
本当にお願い。最後までがんばって。
けど、あんまり無理もしないでほしい。
僕にもわからないけど、
他にも自分を認める手段はいくらでもあると思う。
自分を計る手段はいくらでもあると思う。
自分を責めて、なくしてしまっては、
モトモコモないと思うので。
オレはみんなが何になろうがみんなが好きなんで。
今日はチベット族の集まりで六本木へ。
ラサからカトマンズまで道中を共にした皆様。
どこまで自分をまげられるか、
就活最前線のマッキー。
実はとっても、いい意味で感情的な、
夜の女帝、あねご。
ほどよいひねくれかたの、
忍者はつとりくん。
ハツトリ君は大学一緒だけど、他の二人は
およそ半年ぶりの再会。
日本で会うのは初めてだけど、やっぱりみんな、
かわってないな。って安心できたりもする。
もうちょっと、昔話に花を咲かせたかったけど、
アネゴと共に反戦デモに行くことに。。。
反戦なんて高尚なことあんまし考えてもいないのに、
物見がてらに行ってしまう自分にまた自己嫌悪。
六本木から日比谷公園まで旗もって歩く。
やっぱり、と言うべきかデモのために交通は遮断され、
お巡りさんもかりだされ、迷惑そうだった。
アメリカ大使館前では
10人くらいの人が寝泊りしてた。
なぜか関係のない
住基ネット批判のパンフも配られてた。
某NPOの主催メンバーと知り合った。
悪い癖だが、僕は興味のない人に近づきたくない。
どうしても酒を片手にデモに参加してる人とは、
話なんかしたくない。
直さないといけないんだけど、ずっと黙ってた。
でも、ハツトリ君は偉かった。
本気で食いかかってた。
「戦争ってダメですか?」って。。。
最近みんなのHPに戦争関連のことがいっぱい
書いてあるけど、正直僕には難しすぎてわからない。
だって、メディアの伝えることが真実でないとしたら、
こんな離れた国で、現地のことなんてわかんないもん。
戦争はダメって。みんな思う。僕も思う。
じゃあどうすればいいんでしょ。
独裁国家を民主的な手段で平和的に
解体させるチカラなんて、国連はおろか、
どの機関もどの国も持ってない気がする。
だったら、当該国の市民たちの自助努力とか、
あるいはもっと平和的な解決を望むとかで、
そのまま放置しとくのが"平和"なのかしら。
世界では紛争って実はずーっと続いてて、
コンゴの内紛とかは、どうやら
今回のイラクよりも死者数多いらしい。
今まで、自分中心に世界回してきた先進国が
途上国とか犠牲にしまくってきた先進国が、
いっせいに反戦ムード一色ってのもなんか、
環境問題-京都議定書の一件と
なんだか重なっちゃうのよね。
誰がイラクみたいな国つくって、
誰がアメリカみたいな国、のさばらせてるんだろ。
反戦運動ももっと、自分の国のありかたとか
自分の生活のありかた問いなおすことから始めたら、
もっと賛同できるのかなって思う。
まあ、たとえ途上国の人々を犠牲にしても、
今の生活水準を落とすことはできないだろうけど。
てなことを書いてたら、
やっぱり人の痛みなんてこれっぽっちもわからん
人間なんだなって思えてきた。
批判することからでしか、
自分の意見を確立できないのかな。嫌なやつ。
アタマが働かず、
ココロも動かず。
深く思い悩むこともなければ、
ココロの底から嬉しくなるようなこともない。
どちらへ進めばいいのかもわからず、
動くべきなのか止まるべきなのかもわからない。
目先のことだけに追われて、
目に見えるものだけにとらわれて、
すべてコトバで表せる程度の感情しか存在しない。
今日はブッタとの再会の日。
新宿で写真展なるものに初めて行ったが意味わからず。
個人的な感情もでなかったのはよかったが、
旅の要素の強い写真展なのに、
うすっぺらい表面でしか感じられなかった。
夜は今更な誕生日会。
3ヶ月も遅れた分、プレゼントが増加していたので、
それはそれでよし。どれも、後づけ臭い説明を聞くと、
なるほど嬉しいプレゼント達でした。感謝。
そこで面白かったのが、
二人とも同じような状態に陥っていたこと。
思考停止。
いや、そうじゃないかも。
動いてるけど、自分じゃないな。
自分のほんとにうすっぺらーい、表皮だけで、
まわりの世界を感じてる。接してる。
そんで、アタマの上、30cmくらい上空で、
考えてる。自分のことでも他人のことでも。
うわのそら。自分のことでも他人のことでも。
もっと柔らかく生きてた気がする。
スポンジみたいになんでも吸収できるような。
それでいて、焼き鳥みたいに中にはきちんと串が
ささってて、自分にまっすぐに生きてた気がする。
表面だけ凝り固まって、中はスカスカ。
それなーんだ?
なぞなぞみたいな今の僕。達?
環境のせいにはしたくないけど、
オトナになってしまったということなのかな。
来年、就活やるまではせめて、いや、それからさきも、
もうちょっと青っちいコト、言っていたいのに。
コトバで表現できる感情しかもつことができないのは、
すでに昔、自分でコトバに変えてしてしまったモノを、
繰り返し見つめなおすことしかできないから。
今日会って、えらく抽象的なことばっか言い合って、
そしたらおかげさまで、ちょっとだけ溶け出してきた。
ありがたい。
対象が僕なんかで申し訳ないけど、
やっぱりなんらかの刺激をあたえてくれること、
もらったコトバ、つくった雰囲気、
そのすべてに感謝。そして、それができるだけ、
まだ、固まってはいないんじゃないかな。
新しい魅力はちゃんと見え隠れしてましたよ。
そして僕は、今の状況、
やっぱ環境なんかのせいなんかにはしたくない。
「過去の遺産に命を。すべてのモノに生命力を。」
でも、やっぱ、そのための水は自分で与えたいもん。
ブッタもそうでしょ?
ご存知のとおり、僕は携帯がよく止まる。
それには二つの要因が複雑に絡み合っている。
まずひとつは携帯代は高いということ。
そしてもうひとつは、ここが資本主義国だということ。
一時期、3万円台を超えていた月々の料金も、
最近、なんとか一万円代にこぎつけた。
だがしかし、手元になにが残るわけでもなく、
ただ、うだうだと話しをするのに
お金がかかるのは、どうにも納得がいかない。
ってのを、
初めてまじまじと明細をみながら考えていた。
携帯でゲームができるのか。と、
携帯を買ったとき、一、二回遊んだゲームや、
一回しかダウンロードしたことない着メロ配信サイトの
月額利用料を今だに支払い続けてるらしい。
1460円。月にこれだけ無駄に払っていたのか。
全て解約してみた。
無駄に払ってただけなのに、解約したら、
なんか得した気分でちょっと楽しくなってきた。
他にも無駄なものはないだろうか。
そして、もうひとつ発見した。
パケットミドルパック定額料。
2400円。。。。??
なんでも2400円の月額料を払うだけで、
なんと一万円分もパケット料金が無料になるらしい。
しかも、一万円を超えても、パケ代は70%オフ。
なんとお買い得なプランに入ってたのでしょう。
りゅーすけ最高。
でも、携帯メールは好きじゃない。
0から9までのボタンをちまちま押して、
文を完成させなくてはいけないのはすごくめんどい。
しかも、努力して何回かやりとりしたところで、
たいして、話は進まない。
だから、メールなんてたぶん、
週に2、3回しか使ってない。
だから、今月のパケット通信料も141円。
その141円が、パケットミドルパックのおかげで
なんと、無料になっていた!!!
いや普通に考えて一万円分もメール送受信しないだろ。
つまり、僕の毎月の2400円もたぶん無駄。
さっきのとあわせて3800円。
一年以上、払い続けてたらしい。。。
この国の景気回復のための投資と考えれば、
少なからず経済効果の一石ではあったとはいえ、
それで携帯とめられてたら、意味無し。
ああ。もっとはやくに気がつけばよかった。
時すでにおそし。
いや、今月で解約したのだから。
人生、いつでも、どこからでも
やり直しはきくのだから。
せっかくがんばってつくったので、
ホームページ更新のお知らせをしてみたら、
貴重な時間を使って見てくれた人たちからの
感想メールがいくつか届いてる。
旅で出会った友達からのメールも多いんだけど、
そんなかで写真について書かれてるのも結構ある。
なかでも、写真科に通ってた人から褒められたのは
素直にとっても嬉しかった。
写真は撮る人の心を映すという。
イイモノを狙って撮るってよりも、
純粋な気持ちで撮る事ができるから、
子供たちの純粋な笑顔が捉えられると。
確かに、写真を撮ることだけを目的に近づけば、
子供たちは笑顔を見せてくれないことが多い。
けど、僕がキレイな気持ちだけで写真を撮ってる
ってのは、ウソな気がする。
イイモノを撮ってやる。
っていう卑しい気持ちがどっかにあるのも本当。
いや、
そもそもカメラなんてまともにやったことないし、
なんのこだわりがあるわけでもない。
でも、ちょっと写真について考えてみる。
出来上がった写真が、
自分で見たものよりも妙に陳腐に見えたりして、
こんなもんだったっけ?
って、写真として残したことを後悔することもある。
だから写真を撮らない人もいる。
でも、僕は写真を撮る。
写真は音楽とおんなじで、情景だけじゃなくて、
匂いとか音とか、空気とか気持ちとか、五感全部で
感じたものを、感覚的に呼び起こしてくれる。
日常生活で、ココロのどっかにおいやってしまった
記憶を解く「鍵」になる。
僕は、自分の記憶とかそういうあやふやなもの、
だけに頼れるほど強くはない人間なので、
写真として残すことを好む。
だから、なんか嬉しいこととか、すごいこと、
感じたら、写真は撮るようにしてる。
でも、撮らないこともある。
正確には撮れないんだと思う。
ポタラ宮の内部とか、チベットの古い寺院とか、
あるいは、家を出たとき見上げた空とか。
あの質感、荘厳さ、静けさ、匂い、あたたかさ、
はりつめた空気、果てしないほどの奥深さ、
そういったものを一枚の写真に収める自信はない。
だから、撮らないんだと思う。撮れないんだと思う。
そこまで考えるとひとつわかった。
僕はたぶん、本当にココロに響いたものは、
写真に残してはいないんだろうなと。
残せてはいないんだろうなと。
アルバムのページ見てて思った。
その写真と写真の行間にあるもの、それこそが
僕の本当に撮りたかったものなのかなって。
とりあえず、そんな感じです。
今はうまく言えないけど、来週にでも、
再会したときに、もう少し、煮詰めてこーよ。
そろそろバリに行ってた友達が帰ってくる。
NGOだかなんだかで現地の子供とたわむれてるらしい。
そもそもそういう学生団体は、
どうもうさんくさくて個人的には好きじゃない。
けど、やつならばきっと大丈夫な気がする。
そりゃ、ボランティアのありかたとか、そういう団体の
やりかたとかに、疑問とか覚えるかもしれないけど、
でも、それだけじゃ終わらせないと思う。
与えられたものじゃなくて、
自分から切り開く力、もってると思う。
韓国で初めて出会ったときよりも、
きっとずっと成長してるから。
旅先で新しい自分発見。なんてコトバをよく聞くけど、
それもちょっと間違ってる気がする。
旅に出れば、発見だってそこらにあるし、
面白いことだって、向こうからやってくる。
発見や成長を外に求めるのであればそれは簡単だから。
むしろ、普段のなんでもない生活のなかで、
発見や自問自答を繰り返して、
そんで成長していくことってすごく難しい。
誰かといっかい話したことがある。
魅力あるニンゲンになるためには、
引き出しの数と角度が必要。
引き出しの数は経験から、角度は幅広い視野から。
でも、それを身につけるには、感受性がとっても重要。
同じ場所で同じ経験をしても、
人によって得るものは違うし、
多くを学べる人もいれば、何も感じない人もいる。
そういった意味で、
発見や成長を外に求める僕なんかよりも、
日々の生活の中で、発見して、自分に疑問を抱いて、
それ繰り返して、
そんでどんどん成長してくことができる人。
ってのはなんと素晴しいことか。
幸か不幸か、
僕の近くにはそんなえらい人がたくさんいる。
今回、日本に帰ってくるやつもそんな人のひとり。
だからこそ、やつに関しては心配してない。
きっと旅先ですっげーイイモノいっぱい拾って
帰ってくるんだろうなと。ちょっと楽しみ。
僕もはやくそんな人たちに恩返しできるように、
すこしでも前に進む努力をしたいものです。
そして明日からは別の友達がバリにむかう。
そんなにいいのかバリって。
ボロブドゥールしか興味ないなあ。
っていうか、休みなのに家にいるのは僕だけなのかな。
成績が郵送されてきた。
申請したぶんちゃんときた。
つまりは、退学の危機をまぬがれたのです。
うふー。やればできるおとこりゅーすけ。
かっこいい。
しかもDもなければCもない。
AとBだけちゃんときた。
だいたい僕が本気だしたらこんなもんよ。
どーよ。ぶふふー。
かっこよすぎるな。あはー。
でも、心配してくれた皆様、
お騒がせいたしました。一年ぶりの進級です。
ってことで、僕をこんなぎりぎり学生にした
悪友の皆様、来期もよろしくでおじゃる。