アタマが働かず、
ココロも動かず。
深く思い悩むこともなければ、
ココロの底から嬉しくなるようなこともない。
どちらへ進めばいいのかもわからず、
動くべきなのか止まるべきなのかもわからない。
目先のことだけに追われて、
目に見えるものだけにとらわれて、
すべてコトバで表せる程度の感情しか存在しない。
今日はブッタとの再会の日。
新宿で写真展なるものに初めて行ったが意味わからず。
個人的な感情もでなかったのはよかったが、
旅の要素の強い写真展なのに、
うすっぺらい表面でしか感じられなかった。
夜は今更な誕生日会。
3ヶ月も遅れた分、プレゼントが増加していたので、
それはそれでよし。どれも、後づけ臭い説明を聞くと、
なるほど嬉しいプレゼント達でした。感謝。
そこで面白かったのが、
二人とも同じような状態に陥っていたこと。
思考停止。
いや、そうじゃないかも。
動いてるけど、自分じゃないな。
自分のほんとにうすっぺらーい、表皮だけで、
まわりの世界を感じてる。接してる。
そんで、アタマの上、30cmくらい上空で、
考えてる。自分のことでも他人のことでも。
うわのそら。自分のことでも他人のことでも。
もっと柔らかく生きてた気がする。
スポンジみたいになんでも吸収できるような。
それでいて、焼き鳥みたいに中にはきちんと串が
ささってて、自分にまっすぐに生きてた気がする。
表面だけ凝り固まって、中はスカスカ。
それなーんだ?
なぞなぞみたいな今の僕。達?
環境のせいにはしたくないけど、
オトナになってしまったということなのかな。
来年、就活やるまではせめて、いや、それからさきも、
もうちょっと青っちいコト、言っていたいのに。
コトバで表現できる感情しかもつことができないのは、
すでに昔、自分でコトバに変えてしてしまったモノを、
繰り返し見つめなおすことしかできないから。
今日会って、えらく抽象的なことばっか言い合って、
そしたらおかげさまで、ちょっとだけ溶け出してきた。
ありがたい。
対象が僕なんかで申し訳ないけど、
やっぱりなんらかの刺激をあたえてくれること、
もらったコトバ、つくった雰囲気、
そのすべてに感謝。そして、それができるだけ、
まだ、固まってはいないんじゃないかな。
新しい魅力はちゃんと見え隠れしてましたよ。
そして僕は、今の状況、
やっぱ環境なんかのせいなんかにはしたくない。
「過去の遺産に命を。すべてのモノに生命力を。」
でも、やっぱ、そのための水は自分で与えたいもん。
ブッタもそうでしょ?

