2003年9月のエントリー 一覧

新居の住み心地はなかなか良いものです。
とはいいつつも、
ジュンさんタカさんの見送りがあるから、
バックパッカーズにいることが多いけど。

ということで明日はタカさんの帰国。
空港まで内緒でいきます。

南米自転車で行くためにスペ語習いたいんだって。
新たに奨学生に応募。

が、その締め切りがほんとに間近に迫ってる。
ってのを知ってから、
それまでは「サーフィンだー」って騒いでたのに、
それからはPCに向かいっぱなし。
ノーガンジャ。ノーボブです。

こうして最終日の今日も
遅くまでタカさんの研究企画書手伝ってたけど、
そこまでするのは、本気で受かってほしいから。

なんかね、
アフリカ下ってくる人にはいっぱい会ったけど、
タカさんの素直さとか、
「バッキバキ」のバイタリティーとか、
なんか、とにかくかっこいいんだよね。
そして、だからこそ、素直に、
これからもかっこよく生きてほしいと思わせるのよ。
人に。

まあ、落ちちゃってもタカさんなら大丈夫。
とは内心思うけど、でも絶対受かって波にのってほしい。
まじで頼みます。

いいイミでの単純さとバイタリティー。とあと勢い。
それが、あおい嬢言うところの
「スーパーマリオのスター」みたいに働いたらいい。

じゅんさんは今どのあたりだろう。
二週間でフランスに着くって言ってたな。
人の話、「うん、うん、」
って気持ちよく聞いてくれたところ。
レスポンスはそんなにないし、
自分の意見もそんなに述べないんだけど、
あ、今思った。包容力だ。
あの人にあったのは包容力だと思う。
すべてを受け入れていくこと。
そんな透明な気持ちで旅を続けてるのかもしれない。

じゅんさんが楽しみにしてるって言ってたインドで。
バラナシで。是非とも再会したい。

きっと僕はジュンさんの旅の出会いの一つにすぎず、
忘れられてしまうのだろうけど、
それでもジュンさんの旅の記憶の一片を担えたことは
まじで嬉しい。

2人とも、それぞれの「生き方」を僕に見せてくれた。

タカさんの言葉を借りれば、

「アフリカで会うやつすげーよ。みんなすげーよ。
(泣きながら。)」です。

マジで。本当に本当にお世話になりました。

 

バックパッカーズにきた。ジュンさん見送りに。

手紙だけ渡そうと思ったのに。
やっぱいれるだけ一緒にいたいし、
って思ってもう一度宿に戻る。
フォンタナのチキンと、スパーのケーキで準備。
パーティーだー!!

って思ったのにね。タカさんがね、悪いと思うんよ。
最近、いろいろあって涙腺が緩いんだ。
って言い訳してたし。

「アフリカで会うやつ、すげーよ。
みんなすげーよ。」って。

とにかく泣いちゃってさ。
そしたら僕も泣いちゃってさ。
そしたらジュンさんまで泣いちゃってさ。
大の男が3人揃ってケーキを囲んで涙してる。
って身の毛もよだつような世紀末の図。

タカさんとジュンさんは
ジンバのハラレで一ヶ月一緒だったんだって。
だから、迎えの車
(ジュンさんは貨物船でヨーロッパに行くのです。)
を待つ間は、僕は離れて待ってたんだけどね。

けど、2人ともね、話さないのよ。なにも。
たまに交わす会話も、すっごく他愛もないコトなの。
でもお互い、通じてたんだろうね。

そしてジュンさんは旅立ってしまった。

なんて表現したらいいんだろう。彼の人柄。

まったりしてるんだよね。
ほんわかとかそういうんじゃないけど、
なんか一緒にいると落ち着くんだよね。
彼の人には見せない強さが
優しさになってるからかもしれない。
いろんなコト、一人で乗り越えてきてるだろうから。

でも、それでいてオーラはない。
いや、悪いイミじゃないよ。
擦れてないのよ。すんなりうちとけられるし。
素朴とはちょっと違う。普通なのよ。うん。普通。
高いところに上ったり、あるいは低いところで腐ったり、
そういうんではなく等身大。

引っ越した。

引っ越しました。ステューデントロッジへ。初夜です。

今日はじゅんさんと自転車でウォーターフロントへ。
自転車さいこー!! 2人乗りはつかれたけど。
でも、じゅんさんの自転車に乗れたことが
何より嬉しかった。

3年半乗りつづけた自転車。初海外。
アラスカ→南米→ポルトガル→ナイロビ→ケープ。
これから同じ時間をかけて日本を目指します。

すごいナチュラルなのよ。話し方。
いつもムビラ弾いてるか、
本読んでるか、タバコ巻いてるか。
日本で2年間お金貯めて出たんだって。

みんな本当にあったかかった。
じゅんさん、たかさん、やすこさん。
いいな、このメンバー。

名残惜しくて、夜中の引越しになってしまった。。。
けど、みんなで見送ってくれて。
いつもマイペースなタカさんも眠いのに起きててくれて。
本当に嬉しかった。

葉巻をね、世界のどこかで誰かが、
あるタイミングで吸っていてくれたら、
それはすっげー嬉しいことです。

きのうの続き。

ちょっと昨日の続き。

おじさんが本を送ってくれた。
昨日、日記書いて、
今日、本を読んでたら興味深いものがあった。
そこから少し抜粋。メディア関係で。

視点の不均衡。
アフガン空爆をニュースで解説していた。
どこの都市で空爆や戦闘が行われているのかを
地図を使って説明していた。
その視点は誰のものか。
アメリカの人工衛星からのものである。
爆弾を落される側の視点に立った映像はなかった。
貿易センタービルが破壊された時、
カメラはその視点にあった。

心の不均衡。
「9.11テロは"私たち"にとって
忘れがたい歴史となるだろう。」
というニュース番組の解説者の言葉。
"私たち"って?
アフガン空爆は?パレスチナ人は?
私たちの歴史ではないのか。

まさしくその通りだと思う。

かわいそうな人たち。

そういえば、この日記の終戦記念日バージョンを見て、
大なり小なり反応があった。
さきに言っときます。また幼稚で偽善的な文章書きます。
わかる人はわかれ。わからない人はもういいよ。

9.11テロ、アフガン空爆、イラク攻撃、
なんでみんなこんな大きな争いが起こるごとに、
Web日記で「反戦」とか謳っちゃうんだろ。
って僕も本気でそう思うような人だったから、
急にあんなこと書いて、
びっくりしたってのもあるんだろうけど。

でもね、旅先で会った人に教えられたり、
あるいは、そういう関係のHP見たり、
アパルトヘイトの国にいて思う。

大学生って嫌だな。
大学生に限ったことではないけど、
たぶん中途半端に
クダラナイ知識がついてしまったんだと思う。
とりあえず、批判するのがかっこいい?
自分の気持ちを素直に表す人をあざわらうの心地いい?
人を助けたいとか、幸せにしたい。
とか、そういう考えは幼稚なの?
面倒くさいから詳細は書かないけど。

「概念形成という名の罪」って、ある人が言ってた。

とりあえず、批判して、
わかったようなこと言うのはめちゃくちゃ簡単。
僕も今までそういう人間だったから。
いや、まだそういうとこあるけど。

とにかく上から見下ろして
冷静に分析してるフリしてモノを言うのは簡単。
当事者の視点にたって考えるほうが難しい。

ただ目の前にいる困った人助けたいんだって。
罪もない人たちが殺されてくことが許せないんだって。
誰の前でも言いいきることの方がむちゃくちゃ難しい。

小学校の時、道徳で習ったでしょ。
いや、その前に親からもしっかり教わったはず。
もしも、性善説が正しいとして、
他人のことを本気で想う人が、
無知なヤツだと批判されるの時代なら、
今は人間として生きるほうが難しい。

反対デモを起こそうとする人も、
物乞いにお金を渡す人も、
それらを馬鹿よばわりする人たちも、
全部イケてる先進国の人たち。

一億二千万の子供たちは学校に行けないし、
その前に食べれずに死んでくし。

そんなの知ってるよ。
本気になって救おうとするならば、
先進国の人たちが、
ご飯を買うお金、ビリヤードをするお金、
新しいファンデを買うお金、クスリを買うお金。
ぜんぶ、あげても足りないし、
ぜんぶあげることはできないし。

でもね、見たこともない、遠くにいる人のこと、
想える気持ちはとっとこう。
「かわいそう」って思える気持ちはとっとこう。

↑ あ、日本語って確かに難しい。ひどい。

「がんばれ」もそうだけど、
「かわいそう」もNGワードですね。
てか、またこういうこと書くと、
またつっこまれそうだな。

でも、大丈夫、僕はまだ「偽善者」でしかないので。

昨日タカさんと話した。

波のり男。南アでサーフボード購入。
ここの波は「さいこー。」らしい。
フィットネスクラブで働いてた。
外務省系の企画に合格して船で太平洋回った後、
カイロから8ヶ月かけてケープ入り。
お父さんは大工さんらしい。

なんかね、男気溢れる人です。
なんでも勢いで行っちゃう、行けちゃうような人。
そしてなにより、自分をちゃんと持ってる人です。

思ったことが素直に口から(口からだけじゃなく。)
出るタカさんの話は、
常に、僕に新しい切り口を与えてくれる。

タウンシップ(黒人居住区)について話してたら、
「いや、アフリカ、南ア以外はみんな黒人居住区だよ。」って言われて、
いや、確かに調子こいた白いヤツが来る前は
ここは彼らの土地だったなと再認識。

そう言いつつも、
「でも南アの黒人は幸せだよなー。
白人にこんな街つくってもらって。」
なんて言葉もすんなり出てきちゃう。まじで面白い。

将来はね、たくさんの子供の、
かっこいいお父さんになりたいんだって。
そいで海の近くに住んでサーフィンしてたいって。
「あ、ガンジャあるといいね。」
って後付けしてた(笑)。


「旅で会う人、すげーよ。俺いつも影響されるもん。
俺、寂しがりやだからね。」

って25になっても、すっごく素直でいられること、
それを誰にも隠さずかっこつけずに
言えるところがかっこいい。

どろーん。

落ちるときは落ちるんだ。
気持ちがね。

僕はここで何してるんだろね。

痛みもなく、苦労もなく、

何かに迫られてるわけでもなく。
(状況を把握してないだけだけど。)

動けない。重い体を引きずって、ただなんとなく生きる。

汚れた、汚い手で、ただ与えられたモノを食べる。

心から笑うことなく、感じることもなく、

ただ、時を消費する。


うはー。なんてね。そんな時もあるよ。

レソト→ケープタウン

日付も変わり、
今日の正午にケープに着くというバスの中、
旅を振り返る。
出会った人たちを思う。

レフィーレ。

モリジャで恐竜の足跡をガイドしてくれた男の子。
来年から南アの大学でツーリズム学ぶらしい。
いろんな国の人と会えれば互いに刺激しあえるから。
いろんな国の人に自分の国を見てもらいたい。
この国も好きだし、この村も好き。
そう言ったレフィーレと僕の眼下には、
何もない大地にぽつりぽつりと見える集落。
遠くに道が一本走っているのが見えた。
街に外国人が訪れる度に駆けつけるという彼からは、
ソト語以外にも、
いろんなことを教えてもらった気がする。


マレアレアでお世話になった日本の人達。

モツォカまで送ってもらって、
そこからは自分で行きたいって言ったくせに、
すんごく別れが寂しかった。
正直、僕のこともっと知って欲しかったし、
もっと色んなこと聞いてみたかった。
でも、僕なんかとは違いすぎるって勝手に思って、
話も聞けなかった。
経験だとか、背負ってるものとか、
つまりバックグラウンド。
持ってるものが違いすぎるんだと思う。
四人ともふだんは、
たあいもないコト言い合ってるんだけど、
でもそれぞれ、対等でいられるのは、
お互いそういうモノ持ってるからなんだと思う。
別にみんなの「これだっ」って部分を
直接見れたわけじゃないんだけど、
とにかく、ひとりひとり、すんごくかっこよかった。
次に会うことができたら、
ちゃんと話を聞けるような人になってたい。
でも、最後にひとりひとり握手してくれたのが、
本当に嬉しかったです。
ほんとに、ありがとうございました。


ボーダーまで送ってくれたモリフィ巡査とその仲間達。

パトカーに乗ってたときは荷台だったんだけど、
政府の車両に乗り換えた時は、車中に入れてくれて、
その時かかってたレソトミュージック。
売ってくれって言ったのに、
プレゼントしてくれちゃって。
あのカセットテープは、
すぐにコンポで絡まって切れちゃったんだけど、
セロハンテープで修理して、今も健在です。

もちろん、
ブルームフォンテンでお世話してくれたマーボーや、
B&Bのパパとその家族。
妙に親切な観光案内所のおばちゃんとか、
長居させてくれた路上の焼き鳥屋さん。
飽きもせず切手をずーっと選んでた
僕の相手をしてくれた係りのおばちゃん。
レソトで初めての友達になるよって言ってくれた
郵便のお姉さん。
ミニバスで通訳をしてくれた沢山の人達。
壁画を案内してくれた子供達。

数え上げたらきりがないけど、
とにかく皆さんありがとうでした。

今回は、あんまり深く考えたり新しい事に気づいたり、
そういうことはなかったものの、
でも、だからこそ純粋に
旅を楽しめた気がする初めての旅でした。

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