2003年8月のエントリー 一覧

レソト5日目。

今日はレソト出国の日と決めた。

ここでポニートレックする予定はなかったのだけど、
みんなと一緒に連れて行ってもらうことに。
インド、ネパールと続き三回目。
だんだんと慣れてきたし、ここの馬は乗りやすい。

往復3時間。本当にのどかな田園地帯。
馬から降りて、徒歩で渓谷を下る。
ブッシュマンの壁画を三つ見る。
おとといも見たのであまり感動なし。
でも、行ってよかった。
ツアーとしてはなかなか出来たものだった。

ロッジに帰ってからは日向ぼっこ。
天気がいいので5人でまったりしてたら、
警官と名乗る怪しいサングラス男現る。
妙に馴れ馴れしいと思ったら、
僕をマセルのボーダーで見かけたらしい。
ケープの美容院でやってもらったブレーズは、
特に黒人には受けがいい。

3時過ぎになってしまったので、
今から南アのブルームフォンテンに向かうと、
到着するのが夜になってしまう。
さすがに危ないので、みんなの言うように、
マセルまで一度戻ることにする。車で送ってくれるって、最後の4人旅行なのに言ってくれて。
でも、悪いと思いつつ優しくされると甘えてしまう僕。

マレアレアを後にして走る砂利道に、ふと看板が。
世界各地までの距離。
東京までは10000km以上ある。
陸路で来た人達は、これを見て何を思うのだろうか。

そんなこと考えてたら、
これはもうちょっと旅を続けてみたくなった。
ワガママばかりで本当に申し訳ないのだけれど、
モツォカで降ろしてもらった。
急に一人になったので寂しくなったけど、
気を取り直してヒッチハイク。

なんと一台目でジープが止まった。
なんてツイてるんだろって思ったら、
車体にPOLICEって書いてある。。。
ってさっき会ったお巡りさんじゃーん。
彼は快くマフェテンまで乗っけてくれた。
ボーダーまで行くって言ったら、
政府関係のジープに乗っけてくれて、
一緒に連れて行ってくれた。ありがとー。

レソト出国。そして南ア入国。
3ヶ月のビザもらえるかどうかは、
もちろん入国審査官しだい。
マセルのボーダーは結構大きくてしっかりしてたから
不安だったので、
わざわざこの小さいボーダーを選んできた。
けど、小さいとはいえゲートもちゃんとあり、
ネパールとかよりは厳しそう。

日本人はあまりこのボーダーにこないらしく、
審査官は日本人の入国規定をPCで検索していた。
そのおかげで、みごとに3ヶ月分、ビザゲット!!!!
まじで嬉しい。
もし、これできなかったら、
またどっかの国に行く羽目になったから。

喜びも束の間。時計を見ると5時を過ぎている。
運良くブルームフォンテン行きの
満員のミニバスに乗りこめたものの、
向こうに着くのは、夜になるだろう。

沈む夕日を見た。
太陽が赤く赤く炎上しながら地平線へと落ちる。
この日、世界に光をもたらした太陽は、
すべてを赤く染める。自身を業火につつみながら。
人間には為すすべがない。
ただ息を呑み、立ちつくし、見つめるしかない。
その存在をいっそう増した最後の光が消えると共に、
世界は闇に包まれる。
世界の終焉。
世界を舞台にした誕生と終末のこのドラマは
毎日繰り返されている。
僕らが、得たいの知れない実体のないツクリモノの世界に
魅了されている時代でも、このドラマは繰り返される。
僕らがそれを無視しようと、忘れようとも。

てな風に感傷的になってるのは、
ブルームフォンテンに着くのが本当に怖いからだと思う。

往路で通ったブルームフォンテンは
危ないことは特にはなかったものの、
街の雰囲気が好きになれなかった。
イギリス統治下の古い建物が所々に残る、
のどかな街のその影には冷たさを感じた。
猥雑としたバスターミナル付近が、
夜にはスラムと化すことは想像に難くない。

盗られてもよいモノと
絶対に守りたいモノとを分ける作業をするのは、
何度しても気持ちよくはないもの。
この旅で撮りためた
写真のメモリースティックを懐深くに入れ、
見せかけの貴重品入れとなるヒップバックに
鍵をかけたところで、バスは駅前に到着した。

藁をもつかむ思いで頼んでおいたミニバスの運転手は、
周囲を気にしながら、僕をタクシーへと案内してくれた。
白タクだけど仕方ない。
駅前でバックパック抱えてうろつくよりはマシ。
意外にもタクシーは僕を安全に
長距離バスターミナルへと運んでくれた。

緊張が解けた瞬間、いっきに疲れが襲う。

ケープタウン行きのバスは一日一便。
けど、時刻はわからない。
今日の便が終わっていたら、
ここで泊まらなければならない。
またホテル探したり、そういう苦労はもうたくさんなの。

とりあえず、インターケープのカウンターへ。
今日のバスは2時間後の夜11時らしい。
そして空席あり。なんと最後の一席。
これで今日ケープに帰れる。
なんかわからないけど、まじで嬉しかった。
聞いた瞬間、叫んだもん。

インターケープの異様に暑い車内で
夜通し眠れずにケープへと向かう。

レソト4日目。

星を見ながら眠ろうと、
ベットを窓側へ移動して寝たのが失敗。
朝起きたらちょっと風邪気味。
クスリを飲んでパッキング。
早めに終えると、昨日約束したレフィーレが来た。
2人で山登り。
途中、いくつかの岩に矢印がペイントされてるだけ。

かなりの勾配の山を上ること30分。
遂に恐竜の足跡発見!!!!
って書いてはみたものの、
大きな岩に直径30cmくらいの
鶏の足跡みたいなやつがあるだけ。
なんで恐竜の足跡ってわかったのか。
そしてなんで岩に彫られてるのか。今も謎は解けず。

恐竜って言われても
僕の右脳ごときではイメージすらわかないので、
ロッジに戻るが、
迎えの車を待つが来る様子もないので2人で歩く。
バックパックは重いけど、
集落の間を結ぶ道をてくてく歩くのは楽しい。
子供はどこでも一緒だし。ロバも人も優しい。天気いい。
通りがかりの教会では結婚式をしていた。

郵便局で手紙を出す。
メインロードへ出てモツォカ行きのミニバスを待つが、
満員なのでノンストップ。
レフィーレとヒッチハイクで行くことに。
この国では観光客は珍しいのか、
すぐに一台の車が止まった。
荷台に乗せてもらう。
モツォカまでは20分くらいで着いた。
この国はヒッチは無料らしい。
ここからマレアレアまではミニバスで1時間くらいらしい。
例のごとく満員にならないと発車しないんだけど、
レフィーレが乗っけてくれたミニバスは
すぐに満員になった。
レフィーレともお別れ。
ソト語教えてくれてありがとね。
またいつか来ます。本当にありがとうね。


マレアレア。

マセルから2時間。小さな谷あいの村。
空は抜けるように青く、なだらかな丘陵が続き、
そこにぽつりぽつりと民家がある。
谷あいにあるこの村の入り口には、
小さなレリーフを見つけることができる。
Gateway of Paradiseと刻まれている。

南アを出国するのにレソトを選んだ理由は、
「歩き方」にあった、この文に魅せられてのことだった。

パラダイスって。
ウハウハできちゃうのかと思って来たのが間違いだった。

レソトという国名は「ソト族の国」と言う意味で、
小国で資源も乏しいにも関わらず、
国王を中心にソト族の主権を守り続けてきた国、
別名「天空の王国:The kingdom in the sky」
だったはず。
なのに、なんだこの白人天国は。

レソトに入って以来、
僕は黒人と少数のチャイニーズとしか会わなかった。
なのに、
ここ、マレアレアロッジは白人家族が経営してる。
レソトに入って以来、
観光開発の遅れにただ驚くばかりだった。
なのに、
ここは、そこらにある日本のバンガローなんぞより施設が整ってる。
レソトに入って以来、
他のツーリストとは会ったことがなかった。
なのに、ここには白人が車を乗りつけやってくる。
その横で雇われ黒人達が
昼間からアフリカンミュージックを垂れ流してる。
トレッキング用のポニーの世話も彼らがする。
夜にはアフリカンダンスのショーが
野外ステージで行われるらしい。

なんだこの白人天国は。
と辟易しつつ、僕もここに客の一人としているの。
することもないので手紙書いたり、日記書いたり。
と思ってたら、
今着いたばかりの車から在留邦人ぽい4人組が降りてきた。
夕食はさすがに寂しかったので、
彼らに加わらせてもらったら、
レソトに唯一(唯四)住んでる日本の方々だった。
アナン事務総長の会社で働いてるらしい。

「今度、任地が変わるから最後のお別れ旅行」
だったのに、お邪魔させてもらっちゃった。

夕食後に5人で星を見る。
草の上で寝っころがって星を見る。
ふとんをかけて、「チキチキ流れ星何個見れるか大会」。
結局眠ったのは12時過ぎだった。

レソト3日目。

レソト入りして三日目。
今日こそはマセルを出ようと思い、地図と格闘。

モリジャという街にレソト唯一の博物館があるらしい。
マセルからミニバスで一時間くらい。

なんかね。
昨日のハマテラもそうだけど、ミニバスターミナル。
人であふれてる。
なんだかこのレソトって国は
アジアな匂いがする気がするんだよね。たまに。
でもその喧騒とか猥雑さが、
妙に心地よいのは、レソトの魅力なのかな。

よくわからんがレソトミュージックがバッキバキの
ミニバスを降りて博物館へ案内してもらう。
公民館の展示室みたいな感じ。
六畳一部屋にいろんなモノあるけど、
まあ、とりあえずここも日本語訳がないために
理解に苦しむ。
誰に見てもらいたいんだよ。

ただ、ここの博物館で宿を手配してもらえるという
「歩き方」情報はウソではなかった。
モリジャ唯一の宿泊施設らしいから
手配もなにもないけど。

とりあえず、オーナーはマセルにいるらしく、
鍵が届くのをひたすらに待つ。
こういう無駄に暇な時間を与えられるのが嬉しい。
することもないので博物館の裏庭で手紙とか書いた。

レフィーレと名乗る男の子一人現る。
外国人がこの街にきたというのを嗅ぎつけてきたらしい。
とりあえず、
いい人っぽいので恐竜の足跡ガイドをしてもらうことに。

そんなこんなで今、一人、暖炉の世話をしているところ。

1時間以上博物館で待たされ、
連れて行かれたこのロッジは、
新しくて、でも茅葺で、山小屋風で、
村を見下ろす高台にある。
レソトにこんな素適なロッジがあるとは。
でも客は僕一人。
てか従業員も誰もいないので別荘みたいな感じ。
10部屋くらいあって、
リビングもダイニングも僕独り占め。
だからこそ怖い。
レソト入って一人もツーリストと会ってないし。

ということで火の世話をする。
火を絶やしたらお化けでそうだもん。

そういえば友達に手紙書いてて思ったけども、
旅って何にも得るモノがなくてもいいと思った。
韓国で陽ちゃんが言ってくれてたけど、
いま、やっと自分でも実感できる。
留学とか、勉強とかと違って、
結果として確たるものが残らない旅。
思い出しか残らない。
それについて悩んだ覚えもある。

生まれてから死ぬまで、
常に「何かをするのは何かのため。」だと思う。
「何か」をするには常に「理由」が必要で、
無意識に「結果」を求めてるんだと思う。
つまりは受験やら就活やら出世やら。

幸せを先送りして計算高く生きてくなかで、
何も得るモノがない旅をする。
なんにも得るモノない。
(って言ったらウソになるけど。)
だからこそ、
お金と時間を消費するだけの「旅」をする理由ってのは、
つまりは、
ただ、旅に出たいから。新しいモノみたいから。
ってことなのかなと。

言い換えれば、
「今、したいことをしてる」ってことだと思う。
僕なんかは休み中ちょこっとどっかに
行く事しかできないけれども、
バックパッカーズで会う人たちも、本当に今、
自分のやりたいことやってる人たちなんだろうなあと。

旅に限らないけど、やっぱ自分のしたい事できてる人、
しようとしてる人。はかっこいいなと。
そう思うわけです。
賛否両論ありますが。

そんなことを考えつつ、
一人、暖炉にまきをくべたり、手紙書いたり。
外で星を見たりして、
かなりでかい声で歌をうたってたら
いきなり後ろに人影が。
警備の人らしい。
こんな客もいないような山小屋ロッジに
警備の人がくるとは。

外の小屋で一晩中、番をしてくれるらしい。
電気も自家発電に頼ってるこのロッジで、
セキュリティーだけはしっかりしてるのが
逆に怖かったりしつつ。

今日はおしまい。

レソト2日目。

今日はマレアレアに行こうと
寝る前に決定していたにも関わらず、
朝起きたら気分がのらなかったので、
ブッシュマンの壁画を見に行くことに。

ブッシュマン(コイサン族:人類最古の種族)
は今でこそ、カラハリ砂漠に住んでるらしいのだけれど、
ボーア人とかの侵略の前には南ア全土にいたらしい。
ロマって街の北方に何千年か前の、
ハバロアナの壁画というのがあるらしい。
頼みの綱の「歩き方」もそれくらいしか教えてくれず。

北方ってどこだよ。と思いつつ、
ミニバスでは行けなそうなのでレンタカーを借りる。
久々のMT車。てか車の運転自体すんごい久々。
そのうえ人がバラバラと渡ってくるので
最初は緊張したけど、徐々に爽快。
とりあえずロマを目指す。途中、検問に遭う。
ネパールの二の舞はご免。持っててよかった国際免許。
「日本人か。なんの仕事してるのだ。」
「いや旅行なのだよ。」
「ウソつけ。日本人は仕事しかしないだろ。
旅行なんか行くわけない。」
最後まで信じてくれなかったけど、
その警官の案内とB&Bのパパの地図どおり進むと、
ロマには1時間弱で着いた。
町だと思ってたロマは、商店がいくつか並ぶ通りだった。

まずは英語の話せる、しかも観光に精通してる、
暇な人探し。
ということで、近くのロッジを探し当てる。
泊まろうかどうしようか迷うふりして、
壁画情報ゲット。近くの村までの地図まで書いてくれた。

そこから近くの村、ハマテラを目指す。
距離にしてたぶん30kmくらい。
でも時間的には1時間以上。
なぜならその地図には
縮尺という概念が欠落していたから。

迷いに迷ったハマテラは
未舗装の悪路を抜けた先にあった集落だった。
てか、歩き方。。。
ロマと壁画はまったく関係ないじゃん。

その集落からさらに道を行く。
聞く人によって言うことが違う。
で、結局日も暮れかかったとき、
ようやく細い枝道の終わりに
ビジターセンターなるものを発見。

しかし、すでに廃墟と化し、屋根もなし。
そこからは、集まってきた現地の子供を
ガイドにして徒歩で目指す。
草を掻き分け獣道を行く。20分くらいかな。
橋を渡った向こう側にやっとこさ発見。
途中でなんどあきらめようと思ったことか。
ついに来たのね。

明らかに今朝、壁画でも見てみようかなって
思いついたときとは意気込み違ったね。
半日、看板とか案内図とかまったくない中で
探し続けた後は。

渓流沿い。日本みたいに緑豊か。
崖がねちょっとだけ、せり出したようなところ。
「サバイバー」で寝床に使うようなところ。
そんなところにあった壁画。

牛と人。あと馬みたいなの。

なんか、ずっと探しつづけたモノが見つかったからかな、
それとも、ずっと変わらないモノもあるのね
っていうことがわかったからかな。
とにかくね、安心できるような、
ほっとできるような空気があった。

ブッシュマンは気の遠くなるほど昔に、
今もほとんど変わらないだろうと思われるこの場所で、
何を思い野山を駆け巡ってたのか。

僕にそんなことわかるわけでもないし、
そんなことに思いをはせてたわけでもないけども、
ちっちゃい頃だったら、
秘密基地に絶対選んでるだろうな。ここは。
って思った瞬間、なんか急に嬉しくなったね。
僕もそれほど昔の人と変わらないのかな。って。

帰りは1時間とちょっとで無事帰宅できました。
もう道忘れたので、二度と行けないだろうけど。

レソトだ。

 

ケープから15時間。
途中で故障したバスは
2時間以上遅れてブルームフォンテンに到着。
インターケープの二階建てのバスなのに。。。
朝8時30分。
少し怖いけどミニバスのターミナルまで歩くことにする。

途中で吸い終わったタバコを捨てたら、
それ欲しがる人がいた。
それがマーボーだった。
ネットカフェを案内してくれるというので
ついていくことに。
マーボーは青いラメ入りハットに赤いスカーフまいた
お洒落物乞い。
ケープに11年間いて、
その間7年間は刑務所にいたんだって。
ハウスミュージックとダンスが好きなんだって。
途中の資材置き場で空き瓶を拾って、
女のボディーラインに似てるんだって言ってた。
結局、
インターネットとインターケープを間違えてたマーボー。
なので諦めて
国境行きのミニバスのとこまで案内してくれた。

最後にバスにまで乗せてくれて、
「他のヤツの言うことは聞いちゃだめだぞ。
悪いやつがいっぱいいるから。
発車するまでバスの中で待ってるんだよ。
お願いだから、マイフレンド。」
って言ってくれた。
マーボーこそ楽しくやってね。
あんまり抗争とかに巻き込まれないでね。

で、ミニバス(ワゴン車を改造した乗りあいタクシー)。
って16人も乗れるんだ。。。かなり凹む。
山手線よりもある意味きつい。
身動きとれないとか、そういう問題でなく、
血が止まるかと思った。
満員にならないと発車しないので、何十分も待った。

それから2時間。なんとかバスは国境へ。
陸路での国境超えはたった2回目だけど、
やっぱりこっちのほうが面白い。

とりあえず国境を越えたら、
そこはもうレソト王国の首都、マセル。
びっくりしたー。
どの国も首都だけは発展してるはずなのに、
マセルときたら、横須賀の街よりもしょぼくれてる。
ネットが使えないことに辟易しつつ、
とりあえずインフォメーションで宿を探す。

ミニバスに乗るのも面倒なので歩く。
ひたすら歩く。歩く。
で、やっと見つけたのは民家の軒先。
ゲストハウスっていう名前なのにB&Bじゃん。
でも夕食は一緒に頂けることに。
人の良いオーナーのこと。名前書きたいのに忘れた。
人の名前を覚えよう。
これからどうしようか。地図と
にらめっこするが妙案うかばず。。。

で、なぜだか一曲だけ弾けるようになった僕。
他の曲とかギターの奏法うんぬんは
まったくわからずだけど、
とりあえず一曲弾けちゃう僕。あは。

持ち歌一曲はLSBとしてふがいないのでもう一曲。
ケミストリーのPieces of a dream に決定。
といってもこれは僕にはあまりにも難しい。
というか、一曲でいっぱいいっぱいなので、
つよぽんギターで。
僕は歌。ハモったりしつつかなり完成度を高めてる。

LSBとしてこっちで一旗あげるには
まずは路上からだろ。
と冗談半分で言っていたのが懐かしい。
なぜか日曜の午後からの久々の太陽に誘われ、
グリーンポイントマーケットへ。
青空市の中程に適当な場所を見つけて、
とりあえず初路上デビュー。
あー自分が弾き語りできるなんて。
僕すごし。ギタリストだな。一曲だけだけど。。。
アジアン2人がギター抱えて
わけのわからん言語を発しているのに興味がわいたのか、
まばらに人が集まってきた。
持ち歌2曲ってかなり根性あるなと思いつつも、
久々にお金を稼いだ。
なぜだか物乞いの子とかが5セントくれたり、
まわって集めてくれる人がいたり、
とにかく30分くらいで4ランドゲット。
(1ランド=16円)

いまは歌詞を覚えるのが精一杯。
ハングルをなんとかカタカナに書き換え、
ヨンナンに発音を教わりつつ、
カタカナの羅列をひたすら覚える。

てか、ハングルより英語だろ。

コト始め。

課題曲は「イゼナニヨ」というコリアンお別れ唄。
いや、ポップスだけどね。一応。

いつも仲良く遊んでる韓国の子、
ジンソンがもうすぐ帰国する。
その話を知った日本人仲間のつよぽんが、
僕に「お別れコリアンソング」を提案。
してくれたのが2週間くらい前のはなし。

歳をとるにつれて年々、保守的になってく僕のこと。
かっこいい大人になるためには、
一年にイッコでも
なにかひとつ新しいことを始めてくこと。
おじさんになろうとも、
つねにずっと新しいことに
興味もってけたらかっこいいでしょ。
ということでギターに挑戦したのが去年のこと。
理由は音楽できる人ってかっこいいから。
ただ、根性のない僕のこと。
3日坊主で終わりました。
ただ、なぜか懲りずに選んだことしのお題が
「新しいとこで居場所をつくる」だったこと。
なので、留学ってのは後付けか。。。

まあ、ジンソンお別れ会に向けて
とりあえずスタートした今回の企画。
これは運命だと勝手に決め付け、
ここでまたギターと対峙する。
2週間くらいかな。それこそ毎日のように練習。
つよぽんに教えてもらって練習。
22歳にもなって高校生みたいにコードを
覚えたりしてる自分がちょっと嬉しい。

僕の住むバックパッカーズ(安宿)は
ロングストリートという
ケープタウン随一の目抜き通り沿い。
練習中、もう一人のコリアン友達、
ヨンナンが夕食つくりに来てくれたり、
バックパッカーズにいる他のお客さんが
聞きに来てくれたり、
僕らのためにビリヤード部屋空けてくれたり。

とにもかくにもみんなの応援をうけ、
僕らのバンド名(コンビ名)は
ロングストリートボーイズに決定した。
LSB。
どっかのバックストリートなんちゃらに
僕らの唄をコピらせるのが目的。

いや、英語やろうよ。

終戦記念日。

今、日本は朝9:30。
58年前の今日、戦争が終わった。
戦争について、いろんなこと言われてはいるけれど、
日本でも平和教育なるものは一応、
なされていると思う。
でも、そのせいか、きっといろんなイミで
戦争と遠い国だとも思う。
別にそのせいじゃないけど、
あんま今まで考えたことはなかった。

おじいちゃんに赤城での話を聞いたり、
おばあちゃん家の近くに防空壕があったり、
家の近くには米海軍のベースと自衛隊の基地がある。

でも、僕にとっては、遠い記憶だった。

今日、日本人からもらった日本の新聞を見てたら、
イラクの戦後復興、米軍改革、
北朝鮮拉致、ドイツの追放記念館、
そして本の広告「ひろしまのピカ」。
たぶん小学校のとき図書室で読んで
キモくなってやめたやつ。

人が人殺すことが今でも続いてる。
多くの名もない、でもそれぞれの主役達が死んで、
家族や友人が悲しんで、
そういうのがでっかい単位で重なってく。
それが戦争。

ふと、あの街を思い出した。
静かで、やわらかで、あったかくて、
包みこまれるような、
すべてを受け入れてくれるような包容力のある街。

長崎。ある夏の日。
同じようにゆったりと流れていたであろう時間に、
突然、落ちたモノ。

誰が落としたのかはどうでもいい。
人が落としたモノ。

天気が悪かったから?あの街は地獄になった。
地獄があった。人を人じゃなくした。

58年前の今日、戦争が終わった。
友達に聞いたら韓国では独立記念日らしい。

58年前。
あと2時間後、ラジオの前でうなだれる姿が浮かぶ。
すべてを失くし何を思ったのか。
加害者であり被害者たちは。


といいつつも、
別にイラクの人が爆撃受けてるとしても、
僕はまだ何もしないけど、
わかった風なことならいっぱい言えちゃう
大学生なんだろうなと。

母親からメールが来た。
車のマフラーが落ちたこと。
父親の夏休みが2日間だということ。
その後さらに電話が来た。
家のPCがウイルスに感染したとのこと。

なんてついてないんでしょう。
マフラーって落ちるものなのか?
労働基準法って法律は関係ないのか?
ウイルスって作ると儲かるのか?

まあいろいろな疑問が沸いてきますが、
父親は相変わらず働き詰めらしい。

ってとこまで考えると、ふと自分のことが頭をよぎる。
もしかするともしかして、
僕がこんな歳にもなってこんなところで
フラフラぶらぶらしてるから、
父親はいつまでたっても休めないのかなと。

すごいなあといつも感心させられる人たちの
やっぱりすごい親みたいに、
僕に人生の何たるかを教えてくれるような人ではない。
でも、朝早くに家を出て、夜遅くまで働きつづけ、
それでも不満のひとつも言わない父親の、
その姿は、何も語らず、でもこんな僕に、
けっこう大事なことを教えてくれてる気がする。

そんなこんなで、ちょっと考えを改めたフリして
見たものの、やっぱり僕は僕なので、
今日は日本食材屋さんに行ってきて、
お味噌とマイ箸を購入。
久々にネギとジャガイモ、ワカメのお味噌汁を堪能。

ところで、家から電話をもらったのは
これでまだ3回目。
いちばん心配してるくせに、
でも、それだけしか電話かけてこない母親も偉い。

自制心。

たぶん、僕は気持ちの浮き沈みとか激しい人だと思う。

ほんの些細なことで喜んだり、あるいはへこんだり、
それは、別に恋愛してる時だけじゃないと思う。
今までは、それをちゃんとコントロールしなきゃって
そう思ってがんばってたけど、
なんのチカラもない僕に、
そんな高尚なことができるわけもなく、
まあ、いつものごとく放置プレイしてた。

けど、最近22才にもなって今更気がついた。
天気とかそういうのによっても
気持ちとか、気分なんてかわるのね。
どんな凹んでても、冬の朝、晴れ渡った空見てたら、
ちょっと、がんばってみる?とか思っちゃったり。

同じように、僕は一個のこと集中すると、
他のことに目がむかなくなる。
勉強とか、女の子とか、旅とか、なんでもいいけど、
一個のこと考えはじめると、他のことどーでもいい。
これはたぶん、人間として最低限必要な情報処理能力が
欠如してるんだと思われる。

けど、だからこそおもしろいのかなと。
キモチの話にしろ、アタマの話にしろ、
自分でコントロールできないから、あやふやだから、
だから楽しいのかなあと。そんな風にも思われる。

って別に、
自制への挑戦を投げ出したわけじゃないけどね。

ところで昨日は事件が相次いだ。
ロングストリートっていうメヌキ通りで、
12歳くらいの男の子が刺されてた。
でも、街の人はみんな車5台の交通事故のことが
気になるらしく、男の子には誰も興味しめさず。
あと、新しく短期留学に来た日本人のおばちゃんが、
襲われてカバン盗られたらしい。
これで、日本人留学生襲われ率は
僕が知ってる6人中、僕を含め4人。
短期の人を省いたら、100%の確率で襲われる。
気をつけよう。

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