今日はぶっちゃけ何の日でもない。
ただ、何年か前の今日、『一般市民』と呼ばれる多くの人が殺された日です。
もちろん、そんなことは、いくつかの国と地域で今日も起こり続けてる。
当たり前の一日。
たまたま、『発言力』を持つ人たちの仲間が殺されてしまった悲しい日です。
宗教。神様。そういうのが違うから、だから隣人と殺しあう。というのがユーゴ紛争の解釈。
北部同盟のある指揮官の弟はタリバンの兵士だったって。共通の目的は、平穏に暮らす事。
遠く離れた国の『政治』が、遠く離れた国の人をミサイルで焼く。イラク戦争。
もちろん、これら以外にも、僕らが目をそらしている間にも、
あるいは知らないところで、人が人を殺してます。人が人に殺されてます。
こうしたときに、『発言力』がない人々は、力をもたない人々は、何をしたらいいのでしょう。
例えば、体に爆弾を巻きつけて、他の誰かを殺せばいいのかも。
自分の死と引き換えに。
誰かを殺したり、誰かが殺されたり。
それはきっと、
神様のためかもしれないし、自民族のためかもしれないし、お国のためかもしれないし、
家族のためかもしれないし、政治思想のためかもしれないし、お金のためかもしれない。
あるいは、理由なんてないかもしれない。
敵と呼ばれる人々を、理由も知らずに、憎んでいることもあるでしょう。
自民族どうしで、殺しあうのは悲しいこと。
隣人同士が、殺しあうのも悲しいこと。
『はじめにロゴスありき。』
ってこの間、僕は書きました。
『ロゴス』が『言葉』だったとして。
宗教が違う、文化が違う、国が違う、肌の色が違う、歴史が違う。
様々な違いがあるものの、人間には『言葉』という共通のツールがある。
ニモカカワラズ、武器をもち、火薬をばらまき、相手を殺し、殺される。
だからこそ、そうした行為が、悲しくて、滑稽で、卑劣な行為に映るのでしょう。
何年か前の今日、僕達の『仲間』である『一般市民』の多くが殺されてしまった。
今年の今日、あるいは昨日、
中東の知らない国で殺されたであろう『一般市民』も、きっと、もちろん僕らの『仲間』。
あの日、飛行機をハイジャックした人も、内戦がなければ、善良な『一般市民』だったはず。
今日、イラクで子供とかを撃っちゃったりしたアメリカ人も、故郷では、家族が待っている。
殺した人も僕らの『仲間』。人間です。
みんなが加害者になり、みんなが被害者になる。
おかしな時代になりました。

