久々のトモダチと電話。
そいつは、おんなじことで悩んでた。
好奇心がなくなった。
感性が鈍った。
ココロ躍ることが少なくなった。
素直ではいられなくなった。
アタマで考えないと行動できなくなった。
僕としてはこんなとこ。
でもやっぱりそうだ。
学生でも社会人でもおじさんでもおばさんでも、
肩書きはなんて、実はどーでもよくて。
様は、目の前のタスクに振り回されて、
いっぱいいっぱいになっちゃって、それが全てになっちゃって。
こういうアオクサイことを考えられなくなることを、
大人になるって言うのかも知れないしね。
つまりこうだ。
肩書きがなんであろうとも、何歳になろうとも、
自分の変化に敏感で、悩み、あぐねいてる人は、
やっぱり子供のココロを持っていられる人なのかなと。
そういえば、思い出した。
一昨年だか、去年だかの、僕の夢。
おじさんになっても、おもしろくありたい。かっこよくありたい。
で、その、おもしろいや、かっこいいの定義のひとつが、
何歳になっても、こういうアオクサイことを考えられる人だった。
そして薄々感づいてはいたけど、
やっぱりこれって、どう考えても、
ピーターパン症候群ですかね。
常に相手にどう思われてるか考える。
第一印象はどうか。
声はどうか。
話し方はどうか。
不思議キャラの方が伸びる。
面白いことできるよ。
目の前じゃなく、その先がアタマにあるほうが伸びる。
くだらないことはせずに、
数字で見せる。認められる。これ目指す。
→自分から変えていかなきゃね。
ただ飯食らいってこと。思える人、最近少ない。
神社ね。
仕事で神社に行った。
しかも7件も回った。
今までは神社はお寺よりも遠い存在だった。
お葬式とかなんとか回忌とかしかお寺には行ったことないけど、
そんなお寺よりも用がないのが神社だし、
そのくせ妙に宗教色濃いから、疎遠だった。
けど、今日行って思った。
神社はなかなかステキだ。
これは日本の国づくりと関係があるのだろうが、
郵便局か小学校くらい全国津々浦々。いや、本州ならば。
どこにでもあるのが神社だが。
そして神社は森の中にある。
森と言うと語弊があるが、木に囲まれてる。
つまり、どんな都会にあっても、
木々が、喧騒を切り離し、
神社の境内に立つと時が止まる。
都会のオアシス。
ていうと下世話だが、異次元空間であること間違いなし。
そういえば神社、歌舞伎町にもあったよね。
明日から違う課だ。
せっかく今の課に慣れたのに。。。
また最初から始めるのは非常に面倒くさい。
物覚えの悪い僕が、果たして人の名前を覚えられるのだろうか。
しかも今週は金曜日まできっちりあって、これまた面倒くさい。
くさいが。別に嫌ではない。
また新しい環境に身をおけるのは、すばらしいことだ。
マンネリというものは、人から際限なく意欲を削いでいく。
その意味で、支店配属後に各課を見て回れるというこの制度は、
かなり嬉しいものである。
だって三ヶ月間はマンネリから脱却。
だがしかし。結局終わらなかったけどPCの整理してたら、
もうこんな時間。
五時間しか寝れない。
明日仕事に行くのは嫌ではないんだけど。
また寝ちゃいそうで。
それだけが心配。
初日から居眠りだけはなんとかしても避けたい。
プリンを食べている。
今年のゴールデンウィークは家でゆっくり過ごしてみた。
入社前にできなかった所用をぽろぽろこなしていく。
部屋の片付けなんかもそのひとつ。
帰国して2ヶ月近く経つにも関わらず、
バックパックは放置されたまま。床面積の5分の1を占めていた。
というわけで引き出しの整理をしていたら、
昔の日記を発見した。
今でこそブログ的なもの書いているけど、
高校生の頃、日記を書いてたなんて自分でも想像つかない。
しかも2ヶ月くらい続いてる。
なぜか丁寧に、恋、遊び、勉強。
と、三つにカテゴライズされていて、
高校生りゅーすけのアタマの良さが伺えるが、
まあ、つまるところ、その三つにしか興味なかったらしい。
その後7年かけて、アタマの良さにさらに磨きをかけた僕が
分析してやると、2ヵ月間、書いてることはほとんど同じ。
恋。 一喜一憂悲喜コモゴモ。
ぶっちゃけ他2項目はこの項目の良し悪しに左右されてる。
遊び。 バイクに乗るのが楽しくてしょうがないらしい。
本気でくだらない遊びをすることに躍起になってる。
勉強。 愕然とした。以下日記からの抜粋。
「テストの前日から勉強できる人ってすごい。
僕はテスト前、公式2つ覚えるので精一杯だったのに。」
いつまでも明けることのないように思える暗闇の中。
早朝。蛍光灯の青々と光るホームへと列車は滑り込む。
ここで列車の旅も休息。
バターワースの駅からのびる歩道橋は港まで続いている。
対岸のペナン島までは15分の船旅。
ありがたいことに24時間フェリーが運行している。
通勤客と思われる多くの人たちと交差し、ペナンへ向かう。
サラリーマンをして、無表情の集団と何かに書いてあったが、
本来あるべき生活から離れるほどに、人は表情を失っていくのかもしれない。
まだ暗いうちに、島から本土へと通勤する人のそれは、
どこか、満員電車の日本人のそれを連想させた。
ペナンに着いたは良いものの、ランカウイ行きのフェリーターミナルが
どこにあるのかわからない。何時にあるのかもわからない。
とりあえず人の流れのある方に歩いてみる。
流れと言っても数人しかいないところが心細い。
やがてそれらしきものが見えてきた。
チケット売り場の前に人が群がっている。
まだ発売前らしい。ようやく明るくなり始めた朝もやの中に、
さまざまな人種の人たちが、潜むように開店を待っている。
窓口で直接買うことをあきらめ、空いている旅行社でチケットを手に入れる。
どうやら朝のうちにランカウイに渡れるらしい。
こういうときは、なぜかついてる。
はじめて、FIXチケットで旅に出た。
二週間という制限によって、進まされる旅。
高速船は指定席。デッキへも出れず。寝てる間にランカウイに着いた。
とりあえず宿を探すにもアジアンリゾートランカウイ。
歩いて探せる距離にはない。
声をかけられた客引きに導かれるまま旅行社へ。
どの客引きについていくのか、どの旅行社へ連れて行かれるのか。
次の旅をそんな感じで運に任せるのも悪くはない。
そういえば2年まえに来た。
南アに行くためにバンコクで買ったチケットは、クアラ経由のマレーシア航空。
クアラtoジョバグ行きの便が遅れたおかげで僕は、
海外初の自動ドア付ホテルに泊まれたのだ。
といっても三時間くらいだけど。。。
そして再び来てみたクアラルンプール。
訪れた場所が悪かったのか。
しとしと降り続く雨のせいなのか。
なんだこの顔のない街は。
たぶん、東京も外国人から見れば、
あるいは、こんな風に映るのかもしれない。
人ってやっぱり大切だ。
行った国や、訪れた街。
大抵は大好きになるのだけれど。
なんで好きかって考えたら、人との出会いがあったから。
出会う人、一人一人がその街の、その国の印象を与えてくれる。
親切だったとか、騙されたとか、ケンカしたとか、
そういうのは実はどうでもよくて、
どれだけ人と関われたかが、とっても重要。
クアラルンプールでは、誰も僕をかまってくれなくて。
勝手に人の国に入って評価するのもおかしな話だけれど、
旅行者にとって、無視されるというのは、一番きつい。
まあ、考えてみれば、むこうだって僕に用はないだろうけどね。
あるいは一晩泊まってみたら、
何らかの形で、出会いがあったかもしれない。
そんなことを考えつつも、
その日の夜、バターワース行きの列車に乗り込んだ。
同じ月をみてた。と書いてみたのはいいものの。
海だとか、月だとか、星だとか、太陽だとか。
それらが存在するのは、なにも旅先だけじゃなく。
実は日本の。普段の生活でも同じものを見てたりして。
なのに旅先で見るそれらにコトサラ興味惹かれるのは、
ちゃんと感性が外向きになってる証だと思うわけで。
であればやっぱり、
日本にいても、普段の生活の中でも、
それらの存在にちゃんと気がつける人ってのは、
やっぱステキな人たちだと思うわけです。
でもその一方で、
月とか星とか太陽とか。
世界中どこにいても、どんな状況でも、どんな人でも見ることができるモノ。
そういったモノを、
できるだけ遠くで、なるべく違う状況で、そして多くの知らない人たちと、
一緒に見ることができたら、それはとっても楽しいなと。
その機会を増やすために、旅に出てると考えてみると、
これはかなり贅沢な遊びだなと。
ちょっと楽しくなるわけで。
そんなことを考えながら、深夜。
マレー鉄道の寝台で、
僕は次なる都市、クアラルンプールに向かっていたわけです。
そういえば、卒業旅行的なものに行きました。
今更、アンコールワットを見たことないって言いづらいので、
行ってみることにしたのだけれども。
バンコクよりも安かったので、
シンガポール単純往復32000円をゲット。
いざ出発。
シンガポールは聞きしに勝る発展具合。
特に道路交通網は日本の数年先行ってました。
混雑する道を通る車に自動課金するシステムがあり、
それによって大都市でありながら渋滞が起こらないらしい。
やっぱ思うに国が小さければ小さいほど、小回りが利く。
韓国のIT化もそうだけど、瞬発力がある。
逆に中国なんかは大きすぎて、
目を見張る経済成長にも大多数は置いてきぼりになる。
はて日本はどうだろうと考えた時、
タクシーはホテルに着いた。
空港のカウンターで聞いてみた安宿は、
着いてみたらなんのことはないラブホだった。
とりあえずチェックインして表に出てみると、
深夜零時過ぎだというのに、このホテル街は、
売春婦と、それを目当てに集まった男たちで賑わっていた。
狭い路地にある屋台で海老を食べた。
空を見あげると、月が見えた。
路地をかたどる建物と建物の隙間から、月が覗いてた。
はて日本はどうだろう。と、先ほどの疑問がよぎったが、
ああ。ここはシンガポールだと。
僕はまた旅に出たのだと思い返し。
同じ月を見てた。