2004年11月のエントリー 一覧

お墓参り。

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今日は、学祭最後の休みなので、地元で所用を済ませる。

早朝、母親を送っていき、
家に戻って仮眠した後は、お墓参りに行った。
その後、病院に行て、おクスリを入手し、
その足で美容院でカット&パーマ。
家に帰ってからは、課題を済ませ、今に至る。

うむ。なかなかに充実してるぞ。

ということで、今日はいい天気だった。
母方のおじいちゃんと、おばあちゃんの姉のお墓は、
市営墓地にある。

おじいちゃんは盆栽を愛し、僕などとは違って大変厳格な人だった。
なんでも作れる人で、亡くなった後、
発明途中の無限動力機が発見されたりした。
現役を退いてからも宇宙科学などに興味を持ち続け、
スペースシャトルの大気圏再突入の角度について、
小学生だった僕に、説明してくれたことを今でもよく覚えている。

おばあちゃんの姉というのは、
おばあちゃんと一緒に群馬から横須賀へ来たが、
戦争で旦那さんを亡くしてしまった。
晩年は、僕のいとこ一家とおばあちゃんの隣の家で暮らしていた。
僕ら孫たちにも優しくしてくれて、
つまり僕にはおばあちゃんが3人いることになる。
ほんとに働き者で、大正生まれの女の人だった。

お茶を一口もらい、お線香をあげ、タバコに火をつけ、そっと供える。

誤解を招くかもしれないけど、
お墓参りって自分のためにするのだと思う。

墓石の前に腰を下ろし、目を瞑って、手を合わせる。
とたんに時が止まる。
そこには、自分と、眠る人とだけが存在している。

亡くなった人に語りかけると、
今までの自分が見透かされるようで背筋が伸びる。

しかし、着飾っていたものを一枚一枚解かれていくのは、
心地よくもあり、申し訳なくもあり。

こうして、次に目を開けたときには、
新しい世界が開けていたりして。
感謝の気持ちと畏敬の念を持って、
「また来るね」って言えば、
小さな旅も終わり、また日常へ戻ってく。

凛とする。

 

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キャンプ@山梨

なぜかカトウケンでキャンプに行くことに。

二泊三日。この寒い中、12、3人集まった。

夜の出来事。

しゅんすけのメガネがなくなった。

うえさまが、用水路に落ちた。

じゅんぺいが、用水路に落ちた。

ともちゃんが、用水路に落ちた。

用水路は夜中見えないので気をつけたほうがいいことがわかった。

翌朝、しゅんすけのメガネが見つかった。
踏み潰されて、二次元になっていた。

うえさまは、後日、肋骨にヒビ。って診断された。

肝試しとか、陶芸教室とか。スズメを食べたりとか。
なかなか楽しい3日間だった。

皆様お疲れ様でした。

バスの中で。

40分後。かくして僕はバスに乗れたのであった。

あの(デパートのセールのような)戦場のような乗降口で、
女の子に先を譲ってしまうあたり。僕って素晴しい。できた人間だと思う。
大人な男りゅーすけ。

しかし、付属の女子高生は、これがどうしてイケてない。
勉強が好きそうな、どうしたってもアカヌケナイ女の子か、
はたまた逆に、ちょっとちょーしに乗りすぎてイってしまった女の子か。
つまり、学級委員と田舎ヤンキーで構成されているのだ。
これでは付属の男の子が他校と合コンに精を出すのも納得である。

という与太話は別として、
バスの中は学級委員も、田舎ヤンキーも、サカリのついた男の子も、
みんな元気に騒いでいる。ほほえましい限り。さながら遠足である。
笑ったり、叫んだり。
まさに世の中怖いものはないのだろう。
愛を叫ぼうが何をしようが、
自分が世界の中心だと思ってることは間違いない。

で、このパワーを何かに使えないかと考えた。

駅までのバスの15分間。思いついたのが就労だった。
日本男児たるもの国の発展のために働くべし。

少子化がどうのと騒がれるが、彼らを職に就けたらどうだろう。

現代日本の教育を考えると、問題なく大学を卒業したら22歳になっている。
で、これまたうまく就職したところで、60歳で退職させられる。
つまり、20年間を教育に費やし、40年間しか労働しないのである。
これに老後の20年間をプラスして、マルクスばりの経済学の理論で言えば、
40年間の消費行動と、40年間の生産行動である。
これでは経済成長率が伸びないのも無理はない。

鬼平犯科帳によれば、17歳なんてもう立派な働き手である。

いや、でもまて。江戸時代は平均寿命も短かったのかもしれない。
よくわからんけど、人間遊んでる時間と働いてる時間は、
同じくらいになるように、そういうように作られてるのかもしれない。

んー。でも。

明治大正の農家の方が言っておりました。
「夜明け前から日暮れまで働いて。
  床に入った時だけは、極楽浄土の夢を見る。」

間違いなく、生活は楽になっている。
一方で、現代の流行り病=自殺率の増加。
生きることは難しくなってるのかな。

んー。再考の余地あり。

 

バス停で。

家からクルマで1時間30分。
バイクで1時間。
電車だとこれまた1時間30分。

僕の大学は、田舎にあるくせに最寄り駅から、さらにバス。
というひどい立地条件にある。
なので普段は、バイク。
寒い冬と雨の日はクルマで学校に通ってる。

しかし、今日はたまたま旧友と飲む(僕は飲めないが)予定があるので、
電車とバスで学校に行ってみた。

で、帰りのバス。
約束の時間に遅れそう。
運の悪いことにキャンパスには付属の中学校と高校があったりする。
部活帰りの彼らがバス停を占拠している。
長蛇の列。

で、並ぶ。僕は大人だ。バスが来る。
といっても一台のバスに乗れる数は限りがあるので、あまり進まず。
もう一台バスが来る。
こんどは少しは進んでくれたが、僕の番はほど遠い。
またバスが来る。。。
並びはじめて20分。僕は気づいた。
僕の後ろには20人ほどしか人がいない。
後から後から中高生たちはバス停にくるのに、僕の後ろに列はできない。

???なるほど。

みんな列の先に友達を見つけてはバスに乗り込んでいるのだ。
つまり、あれだ。横はいりだ。順番抜かしだ。
そして僕は抜かされてるわけだ。だから僕らはいつまでたっても最後尾なのだ。

バスの乗車口を見ると、なるほど確かに無法地帯だ。
我先に他人を押しのけ入っていく地獄絵図。

うちの大学の女の子の親の平均年収は一千万を超えるらしい。
つまり、「一千万以上が勝ち組」っていう電○の調査によれば、みんな金持ちだ。
であるからして、
中高から付属の私立に通ってる彼らは、たぶん、もっとハイソに違いない。

そんなハイソ(偏見)な彼らが、何を争っているのだろう。
順番を守りましょう。ってことを幼稚舎とかで習わなかったのだろうか。

いや、でも僕がこんな立地の高校に通っていたら、
間違いなくフレックス。
バスが混むからという大義名分を持ってして、遅刻と早退を繰り返したに違いない。

その点、彼らはまだ偉い。
授業をちゃんと受けつつも、早く帰って遊びたいという
エスとイドとの葛藤が、
バスの順番抜かしという抜き差しならないゲームを生み出したのだろう。

こんな無法な醜い争いを繰り返しながらも、
その勝者達は、バスに乗ったとたん口々に、
「お願いします。」と運転手さんに言ってしまうあたり。
なんというか、オモシロ微笑ましい。

 

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姉が第二子出産直後なため、なぜか我が家に住んでいる。
なので、えなっぺ(長女)、みゆ様(次女)。二人の赤ん坊が家にいる。

最近二歳になったえなっぺは、やっとこさ僕になついてきた気がする。
僕が、二階にいたり、トイレにいたりすると、
「ぎゅー。おいでー。はやくおいでー。」と呼んだりする。
シャワーを浴びてるときもついてきたりして、
洗面所のドアを勝手にあけて入ってきたりする。
そして無防備な僕の裸体を見ては喜んだりしてる。

で、皆さんご存知のように、我が家にはモエモエという愛犬もいる。

家の中を傍若無人に走り回るえなっぺ。
たまにモエモエも追い回されたりして、大変迷惑そうだ。

しかしこの二人の関係はなかなか興味深い。

最近おままごとを覚えたえなっぺは、
おもちゃのカップで、牛のぬいぐるみにミルクを飲ませたりしている。
牛にミルクって。。。
それはさておき、その小さな牛のぬいぐるみは、
もともとモエモエの遊び道具で、彼女のお気に入りなのである。

ある日、えなっぺの仕業によって、牛は例のごとくカップに顔をつっこみミルクを飲んでいた。
と、えなっぺはそのままどこかへ行ってしまった。
残されたのは、牛と僕とカップだけ。
牛には自分の意思はないようで、ミルクを飲み続けている。
と、そこをモエモエが通りかかり、あろうことかバクッと牛をくわえて行った。
残されたのは、僕とカップだけ。。。一瞬のできごとだったのだ。
とりあえず、事情をえなっぺに説明すると、
ほんきで、キレた。わかったのかわかってないのか、僕にもキレた。
そしてモエモエの後を追い、牛を奪取し、
「もう牛には手をだすな。」という趣旨であろうえなっぺなりのコトバで言い聞かせてた。

しかし、今日になって、僕はささやかな感動につつまれた。

とりあえず、赤子のテンションにはついていけない。
感情の起伏がどうのこうのではなく、たぶん線が切れてる。
嬉しいときも、悲しいときも、すべて絶叫。全身全霊を持って表現しやがる。
で、今日も例のごとく理由はわからないけど、えなっぺは泣いていた。

と、そこへモエモエが通りかかり、遠巻きに凝視。そして消えた。
しばらくすると、どこからか牛をくわえて戻ってきた。
で、今度はえなっぺの膝元まで行き、牛を置いた。
で、きびすを返し、再びどこかへ行ってしまった。

えなっぺを悲しみのふちから救い出そうとしたのか、
それとも、あの壮絶なノイズを止めようとしただけなのか定かではないが、
とにかく、モエモエは、えなっぺに牛をあげたのだ。

動物奇想天外だ。

ムツゴロウもびっくりな宇宙船地球号。
大自然の奇跡が、今日も我が家で繰り返されているのである。

いや、でもまじめな話、こういうちっちゃな嬉しい出来事は、
日本の電車のなかでも、
モンゴルの空の下でも、
ソマリアの教室のなかでも、
ロンドンのオフィスの中でも、
実は身近にいっぱい転がってるんだろうなと。

そう思えたら毎日楽しい。

写真は渦中の牛君です。

 

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