イエメンについて考える。
これほどまでに美しい町並みを見たことがない。
日干し煉瓦で作り上げられた箱庭のような街。
サナア旧市街。
1000年の歴史と1000のモスク。高くそびえるミナレット。
かつて幸福のアラビアと呼ばれたこの国は、
今は中東にありながら石油の出ない貧困国。
アジアのような陰湿な貧困を目にしないのは、なぜなのか。
イスラムの教えに則り、
隣国のサウジやUAEから、ありあまったお金が流れているのか。
それとも旅行者の僕にはわからないように。
その貧困をチャドルのように覆いかぶせる力が働いているのか。
いやそもそも。貧困など存在しないのかもしれない。
車も走り、ケータイもある。
ただどこか。彼らは1000年前と同じなのだと思わせる。
世界が発展していく中で、彼らは彼らの生活を、守り抜いてきただけなのだと思う。
そして腰に差したジャンビーアは、やっぱり彼らの誇りなのだと思う。
人を待つ。
その人とのこれまでを想う。
その人とのこれからを想う。
その真ん中で待ちぼうけ。
何をするでもなく、何を望むでもなく。
ただただ、その人を想う。
むう。思うより、想うのほうがカッコよいので使ってみたが。
いまいち違いが分からない。解らない。
とくに書くべきこともないが。書く。
残す。
しんしんと。雪が降った日のように。
いつもと違う情景に。少しドキドキしながら、雪が積もるのを待つように。
それでも僕が住むところでは、積もるにはあったかすぎて。
降ったそばから融けていくように。
毎日の記憶は消えていってしまうから。
僕は残します。
僕はカギを残します。
太陽に照らされてまぶしいくらいに輝く雪も。
解け出して、土と混ざり合い。かわいそうなくらい茶色くなったその雪も。
そう遠くない未来、消えていってしまうから。
音楽であり、ニオイであり。空気であり日記であり。
あの雪が降った日に。
その足跡をどこかに見つけに外にでるように。
社会人のはしくれになって気づいたことシリーズ。
物事を大きく見る視野は必要。
大きく捉えた中で、自分が今、どこにいるのか。何をしてるのか。
どこへ行くのか。なにをすべきか。
空間軸でも、時間軸でも。
それを失うと、目の前のことで精一杯になってしまう。
そしてそれに意味を見出せなくなってしまう。
果ては、自分を失ってしまうのだと思う。
物事を細部まで見る視野も必要。
小さく捉えた中で、
一喜一憂。人であっても、物事であっても。
自分の目の前にあることで精一杯になれる。
それを失うと、希薄な毎日になってしまう。
送る日々の意味を失くしてしまう。
果ては価値をなくしてしまうのだと思う。