2006年11月のエントリー 一覧

イエメン再考

イエメンについて考える。

これほどまでに美しい町並みを見たことがない。
日干し煉瓦で作り上げられた箱庭のような街。
サナア旧市街。
1000年の歴史と1000のモスク。高くそびえるミナレット。

かつて幸福のアラビアと呼ばれたこの国は、
今は中東にありながら石油の出ない貧困国。

アジアのような陰湿な貧困を目にしないのは、なぜなのか。
イスラムの教えに則り、
隣国のサウジやUAEから、ありあまったお金が流れているのか。
それとも旅行者の僕にはわからないように。
その貧困をチャドルのように覆いかぶせる力が働いているのか。

いやそもそも。貧困など存在しないのかもしれない。

車も走り、ケータイもある。

ただどこか。彼らは1000年前と同じなのだと思わせる。
世界が発展していく中で、彼らは彼らの生活を、守り抜いてきただけなのだと思う。

そして腰に差したジャンビーアは、やっぱり彼らの誇りなのだと思う。

待ちぼうけ。

人を待つ。

その人とのこれまでを想う。

その人とのこれからを想う。

その真ん中で待ちぼうけ。

何をするでもなく、何を望むでもなく。

ただただ、その人を想う。


むう。思うより、想うのほうがカッコよいので使ってみたが。
いまいち違いが分からない。解らない。

記憶。2?

とくに書くべきこともないが。書く。
残す。

しんしんと。雪が降った日のように。
いつもと違う情景に。少しドキドキしながら、雪が積もるのを待つように。

それでも僕が住むところでは、積もるにはあったかすぎて。
降ったそばから融けていくように。
毎日の記憶は消えていってしまうから。

僕は残します。
僕はカギを残します。

太陽に照らされてまぶしいくらいに輝く雪も。
解け出して、土と混ざり合い。かわいそうなくらい茶色くなったその雪も。
そう遠くない未来、消えていってしまうから。

音楽であり、ニオイであり。空気であり日記であり。

あの雪が降った日に。
その足跡をどこかに見つけに外にでるように。

大きく小さく。

社会人のはしくれになって気づいたことシリーズ。

物事を大きく見る視野は必要。

大きく捉えた中で、自分が今、どこにいるのか。何をしてるのか。
どこへ行くのか。なにをすべきか。
空間軸でも、時間軸でも。
それを失うと、目の前のことで精一杯になってしまう。
そしてそれに意味を見出せなくなってしまう。
果ては、自分を失ってしまうのだと思う。

物事を細部まで見る視野も必要。

小さく捉えた中で、
一喜一憂。人であっても、物事であっても。
自分の目の前にあることで精一杯になれる。
それを失うと、希薄な毎日になってしまう。
送る日々の意味を失くしてしまう。
果ては価値をなくしてしまうのだと思う。

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