2007年10月のエントリー 一覧

幸せのちから?

よいことをした人は、幸せになる。
わるいことをした人は、そのつけがくる。

わるいことばっかりしてる僕だけど。
僕はそれを信じてる。信じたい。

母方のおばあちゃん。

おじいちゃんに先立たれ。
身体も言うことをきかず。
精神的にも弱りはててる。

母親達兄弟は、少しでもおばあちゃんが楽になれればと。
みんながみんな、がんばっている。

それでもおばあちゃん自身が、つらく苦しいのは。
どうしてなんだろう。

一番幸せになるべき人が、そうなれないのは。
それは、自分が幸せになれないのよりも、よりももっと。
納得できない。

そういう悔しいことが世の中にはあるんだ。

喪失。

大事なもの。

大切な人。

一度失うと、もう取り戻せない。

自分でもなぜだかわからないけど。
それを。失くす。

なんだこれ。

しかし、宝くじは当たらないなあ。
大学の授業で、日本の宝くじは、世界でいちばん確率低いと
統計学の教授がおっしゃってたな。

男同士の友情は大事だ。

凶弾。

親しい人の死に直面したら、どうしますか。

それが例えば、親とか子とか、家族だったら。
それを仮に止められるとしたら、どうしますか。

いくら払いますか。
それとも自分の命の引き換えちゃいますか。

それが例えば恋人だったら。

それが例えば友達だったら。

それが例えば、ただの知り合いだったら。

それが例えば、会ったことのない、他の国の人だったら。

それが例えば、あなたと同じ日本人だったら。

僕らの住む世界には、生と同じように死がありふれているのだけれど。
病気だったり、事故だったり、空腹だったり、殺されたりして。
毎日毎日、あたりまえに、人が死んでいくのだけれども。

それを見てみぬふりして、やりすごしているのは、
止めようともしないのは、
その影で、のほほんとして生きられるのは、

赤の他人を、自分の家族のように、あるいは友達のように、
救いたい人、救われるべき人だって想える想像力が働かないから。

そんななかで、赤の他人に起きる悲劇を、
ほんの少しだけど、垣間見る手段となるべき報道の。

それに携わる人が死んだ。
彼もそれを伝えることに、命を賭したのだと思う。

だけど、激動のフィリピンで。
他にもたくさんの人々が殺されているなかで。
あのカメラマンの死だけが、クローズアップされるのは、
同じ日本人というだけで、とりわけ多くの衝撃を与えられるのは、
さして面白くもない皮肉である。

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