黄色い袈裟着たお坊さん。隣でネットに興じてる。。。
それはよいとしてルアンプラパーンライフが続いてる。
風邪だ風邪だと。安静にしてようと思ってたら、
いまだ観光らしきものできてない。
朝の托鉢。メコン川の夕日。ナイトマーケットに赤十字のサウナ。
はたまた少数民族を訪ねたり。
明日明日と考えてるうちにのびのびになってしまうのは、
この村のまったりムードのせいだろか。

来て分かったことには、ここは実は世界遺産に登録されてて。
でも何にもないのだけれど。それは。。
ラオスもひとつくらいあげようね。
ってサービスでユネスコがくれたらしいです。
そんなのんびりが売れているのか、
年越しをここで。っていうバックパッカーが後を絶たず。。
どこの宿も満室で。村には宿探しの旅行者が溢れています。
夜9時過ぎてもガイドブック片手にバックパックかついでる欧米人見ると、
これはもういい気味で仕方ありません。
中には一泊35ドルとか、バルコニー泊で4ドルとか。
法外な値段をふっかける宿も出てきたそうで。
僕の泊まってる宿は中でも人気の宿なので、
一日に何十人と訪れては満室に肩を落とし帰っていきます。
着いた早々たまたま入れた僕などは本当についてたようで、
同じ宿の日本人と、あまったダブルベットの片側を、
売りにだそうと目論んでいます。
もちろん女性限定で。5ドルくらいは硬い気がする。
あまりここにいる気もなかったのですが、
旅行者はびこるこの時期に、
ここを離れて新たな場所に移動するのは危険と判断し、
年越しはここで迎えようという次第です。
宿のオーナーファミリーは、この日のために買い込んだ
カラオケセットを今から庭にセッティング。
今夜は寝れそうにありません。風邪気味には辛い夜。
皆様、よいお年を。
今日の不思議。
同じ宿のカナダ人から聞かれた。
なぜ日本語は、「おはようゴザイマス」って。
『ゴザイマス』てポライトな表現があるのに。
「こんにちはゴザイマス」と、「こんばんはゴザイマス」って
表現をしないのか。って。
朝だけポライトにしましょうってことなのかと。
そいつからは会うたびに、英文の後にゴザイマスつけられる始末。
どなたか理由が分かる人。教えてください。
ウィスキーのヤギの血割り。飲んだことありますか?
ということで、結局ルアンプラパーンにいます。
あのオンボロバスは。一番後ろに席を見つけ。
もちろんエアコンなし。リクライニングなし。
足も揃えておけないので、体育座りのような格好で。身動きとれず。
しかもたまに後ろから荷物が滝のように振ってくる始末。

外国人は僕と、通路はさんでとなりの欧米人。
荷物を押しのけ声をかけると、タイの大学で教授をしてるアメリカ人。
僕の行程がわかると、トルコに残る遺跡について、
彼の専門だと言うレジスタントアートの視点から、わけのわからん単語を並べて
熱弁を振るう始末。話しかけたの失敗だった。。。
と。でもやっぱり日本人なので、フムフム彼の話を聞いてたら。
『でもベトナムは。。。
若い世代は別として、年配の人々が、自分のことを。アメリカのことを。
どう思っているか考えると。。。』
なんて言い淀んでるから。ああ。あのアメリカ人にも。
教授ともなればそんな殊勝な考え方ができるのかと。
日本もそう。韓国や中国、アジア諸国との歴史を考えれば。
同じことが言えると思う。なんてついつい共感してあげた。
アメリカ人。僕の中で久々にポイントアップ。
ということで、やっぱり彼は、途中の町バンビエンで降りて行き。
(バンビエンは東洋のアムステルダムと評されるほど、葉っぱの有名な町なのです。)
でも今回の旅。葉っぱのおいしさなんてなんのその。
僕は思いを断ち切り独りルアンプラパーンへ。
隣の席には小さな子を連れた母親が独り。
何時間も子供を抱き続ける母の強さに胸が震える。
ということで、なぜか。
このバスで、この母子を守れるのは自分だけだと。
よくわからない父性に芽生え、振ってくる荷物から彼ら二人を守るのでした。
結局バスが着いたのは午前6時。
12時間同じ体育座りで。
エコノミー症候群どころかローカルバス症候群だと。
日本人宿を見つけ、彼らと仲良くなるのもそこそこに。
近くでヤギを裁いてたラオス人学生と仲良くなり。
パーティーにお呼ばれをして。
ダンスやらお酒やら、パタンやら。

ということで、ウィスキーのヤギの血割り。かなりキタ。
角でできたカップに入れて飲みます。

30時間超のバス旅の疲れもあってか、
そのまま宿の部屋で倒れたように眠り込み。
夕方起きたら風邪ひいた。
あたまイタイ。ボウッする。ゾワゾワもする。
喉もかれてる。節々も痛い。
風邪の見本市みたいな。あらゆる風邪の症状が僕を襲う。
我慢できずに日本から持参の風邪薬を飲み、
あらゆる服を着込み。
寝袋にくるまり、また横になるのでした。
ルアンプラパーンへはバスで10時間くらい北上したところにあります。
特にこの町を有名にしてるのは、お坊さんの托鉢。
朝っぱら、黄色い袈裟着たお坊さんが町を歩き、
住民たちが、お供え物、というか寄進をするらしいのですが。
ラオスでも、昔王朝のあったこの町では、
今でも、盛んに行われているらしいのです。
ということで、ラオスに行くならルアンプラパーン。
勝手に思い込んでハノイでチケットとったのですが。
出発直前にビエンチャン乗換えが必要だと気づく。
ビエンチャンと言えば、タイのバンコクまで1泊2日で行けちゃう距離なので、
わざわざルアンプラパーン行く意味あるのかと。迷いもあったが、
ビエンチャンについたら決めようと目論む。
ところが、というか案の定。
ビエンチャンに着いたら乗り換えのバスなんて誰も知らない。
考えて見れば、
トナムでラオスの国内線バスのチケットとれること自体、おかしなことだ。
こんな初歩的なトリックに引っかかるなんて。もはや笑うしかない。
まあ、でもビエンチャン経由と聞いたときとか、気づける機会はいくらでもあったのに。
というか、そもそも自分でチケットを手配しなかった罰があたる。
反省して12ドルを無駄にする。。。
ということで、ルアンプラパーン。
たとえ20時間バスに揺られてへとへとのカラダでも。
行けないとなると余計に行きたいのが人のサガ。
あんまり興味はないのだけれど。
北方面のバスターミナルへ移動して。
まだバスはあるかと聞いたら。その人の指し示す先。
これはまた、ALLWAYSにも出てこなそうなオンボロバスが。
屋根にも中にも荷物と人を満載してる。

後にも先にも僕が『ちくしょう』なんて
マンガでしか聞かないような言葉を口にしたことはないのだけれど。
ほんとに『ちくしょー』て叫びながら人を掻き分け、
そのバスに乗り込んだのです。
ハノイで2泊3日過ごした僕は、
もういい加減お腹いっぱいなので、ラオスへ発ちます。
夕方5時発予定のバスは、
なんだかんだで8時に出発。
乗客は、50人くらい。
現地人以外は、欧米人パッカー4人。年配韓国人4人。
年齢不詳中国人1人。日本人僕1人。他現地人。

なんで僕が異国で会う欧米人パッカーが嫌いかと考えた。
日本人以上に自国の文化を持ち込んで、
あたかも西海岸にいるかのような喧騒を持ち込むのも嫌なのだけど。
自分の存在が揺らいでしまう恐怖みたいなのがあるんだと思う。
同じ旅行者として、異国人として、欧米人パッカーと同じ位置にあるのか。
はたまた、アジア人として、現地人と同じ立場にあるのか。
香港人のように、両者の間にあるものとして有効利用するほどの英語力もなし。
とにかく、自分のポジションがどこにあるべきなんだろうと。
自分の存在について自問自答しなくてはいけない恐怖みたいのがあるのだと思う。
国境に着いたのは、夜があけてから。

韓国ヒュンダイの中古のバス。
元観光バスなので、リクライニングはありますが、
さすがに10時間を越えたあたりからは厳しい。
話し相手もおらず、苦痛な時間を過ごして、
ラオスの首都ビエンチャン着は夕方4時ころ。
およそ20時間のバス旅でした。
雨のハノイ。モトバイの運転手によると、この季節は毎日こうらしい。
特にすることもないので、
宿の人に教えてもらった観光地に行ってみる。
湖に浮かぶ寺院らしきもの。
喧騒の中にひっそりと立つ教会らしきもの。
ひっきりなしに観光バスが横付けされるお寺らしきもの。
行ったところでどういう歴史があるのか。
なんで有名なのかさっぱりわからないのだけれど。
それでも入り口で少し待っていると、
ジャパニーズスピーカーのガイドを連れた日本人観光客がくるので、
彼らの後にくっついていくと、日本語ガイドを聞くことができる。
それでわかったことには、
なんでもそこは孟子と孔子を祀ったお寺らしいのだが、
彼らの像の前で、
フランス人は文字通りフレンチキスなんてしてたりする。
この罰あたりめ。

ということで特にすることもないので、
意外と寒いこの季節。もう一枚長袖が必要だと。
服を買うのに半日費やし。
日本を出てから一度も着替えていない服達を、
かなりの勇気をもって洗濯するのに半日費やし。
僕のハノイライフは続くのでした。


南寧から国境の町、ピンシャンまでは列車で3時間。
目の前に座ってる二人の男。どう見ても中国人ではない。
もしやベトナム人ではあるまいか?
話しかけると確かにベトナム人。
ここぞとばかりに、越境ベトナム人から情報収集。
簡単なあいさつから、数の数え方。トイレは?通貨のレートは?
無知な僕の質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれる彼ら。
未知の国、ベトナムとのファーストコンタクトは悪くない。
国境からハノイまでのだいたいの行き方も教えに預かり一安心。
日本でも、異邦人には親切にしたいものです。

ピンシャンからは、トゥクトゥクで国境へ。18km。約20分。
国境はなぜか国立公園的なつくりで、観光地でもあるらしい。
さもありなん。
最後にまた中国に驚かされたのは、イミグレーションの係官。
最初にかけられた言葉が、『メリクリスマス。』
まさかあの中国の。辺境検査官にそんな洒落たこと言われるなんて。
一人さみしいクリスマスが、よりいっそう寂しいものになりました。

ということで、ハノイまではほぼ順調。
国境の町ランソンまでは20km。タクシーで10分。
そこからはミニバスで3時間でハノイです。
目指すべき場所もわからないので、
運転手に安宿街で降ろしてくれと頼んで、湖近くの通りへ。
確かに欧米人やら旅行会社が多い。
案内されたホテルに直接入るのもしゃくなので、
荷物だけ置かせてもらい、他の宿をあたるも、
結局、こういう時って、最初の宿に落ち着くものなのね。
とりあえずハノイライフがスタートです。
歩き方(=地球の歩き方:日本語ガイドブックの大御所)派や、
ロンプラ(=Lonely Planet:欧米人向けガイドブック)派、
はたまた何ももたずに旅する人など、人それぞれですが。
僕はといえば、だんぜん『歩き方』派。
何も持たずに旅するひとは、それだけでかっこよく見えたりしますが、
結局、旅先で出会った人に『歩き方』借りて見てたりするし。
その国の文化や、歴史など、ガイドブックから学べることも多い気がする。
『ロンプラ』持ってる日本人は、やっぱりそれだけでかっこよく見えたりしますが、
なにぶん英語が解読不明なのと。
『歩き方』なら日本人宿(=日本人が多く利用する:たまっている宿)が、
載っているので、利用価値大です。誤情報も多いけど。。
なのですが、
今回行く国すべてのガイドブックを持ってくわけにもいかないので、
インド以西のみ持参して、ラオス、ミャンマー、スリランカは歩き方のコピー。
中国、ベトナム、タイ、ネパールは何もなし。
中国、タイ、ネパールは一度行ったのでなんとかなるさと思ってたけど。
ベトナムは初めての国。
僕の持ってるベトナム情報はといえば、
ラオスの『歩き方』のコピーにある、ラオス全図のはしっこにある全体地図のみ。
そして船の中で聞きつけた、英語はあまり通じないらしいということ。
フォーがおいしいということ。

うむ。ベトナム。
なんとかスムーズに、そしてスマートに切り抜けましょう。
無事上海着。
そういえば10月にも来た気がする。記憶がトンデル上海。

中国元もないので、銀行を探し当てる。
何年か前も両替してなくて、同じ船の韓国人に借りてたな。
まったく反省していない。
とりあえず、みんなと一緒に宿に行き、
荷物を置かせてもらって、列車のチケットを買いに行く。
すごいぞ中国。5年前は、何言ってもメイヨーで。
切符の売り子と喧嘩して、半日かかりで買っていた列車の切符。
今回はなぜかすんなりと、しかも当日発の切符が買えた!!
上海発昆明行き。2泊3日で着くそうな。
上海なぞに用はない。目指せバンコク。かの地で年を越すのだ。
ということで上海泊のみんなとお別れをして、
地下鉄を乗り継ぎ上海南駅へ。
かくして僕は列車に飛び乗ったのでした。
硬臥。つまり硬いベッド。日本で言うところの2等寝台みたいなの。
寒い車内では、さっそく寝袋が役に立つ。
相変わらず、お湯のサービスはあるので、お茶と水筒を購入。100円なり。


杭州、桂林を抜け、一路南へ。
到着まであと一晩。というとろころで列車のなかにある時刻表を発見。
昆明の手前、この列車は南寧を経由するらしい。
地図で比較すると、昆明よりも南寧の方がハノイに近い。
しかし。南寧の情報一切なし。
果たして国境までの足はあるのだろうか。
そもそも南寧に宿はあるのだろうか。
いろんな疑問がよぎるものの。
漢字と英語のミクスチャーで聞いたところによれば、
南寧は大きな町で、しかも国境まで電車とバスがあるらしい。
まあひとつの賭けだな。と夜9時過ぎに、電車を途中下車。
したのが、この賭けは当たってた。
駅前に適当なホテルあり、次の日8時発のピンシャン行きチケットも手に入り。
しかし、中国すごい。駅の係員が笑顔を見せるまでに成長。
何年か前よりも、数倍旅がしやすくなった。あんま嫌いじゃなくなった。

沿岸部だからか、車窓から見える景色のあらゆる土地に、
人の手が行き届いてることが伺える。
日本だけだな、なんにも成長できないのは。
てなことを考えてみる。
日本から離れたくない僕の希望に反して、定刻の12時。
大阪国際フェリーターミナルから船は出港。
結局フェリーターミナルに着いたのが11時過ぎてたために、
『最後ノ一人ナノデ心配スマスタ。。』
て中国人に心配される始末。
結局60名近い乗船客で、
10%欧米人パッカー、10%日本人パッカー、残り中国人ファミリー。
はじめはあんまりすることもなく、旅情にひたるでもなく、
ただただ、離れていく日本を思うていたのですが、
瀬戸内海を航行するうちに、徐々にみんなと仲良くなるなり。
スネヲとジャイアンの初海外組。
ノビタとそのトモダチの南下組。
そしてシャワーを覗かれる僕はしずかちゃん。
そこへ現れる未来のアメリカ人型ロボット、ドラえもんケン(関西弁)や、
イギリス在住スパニッシュなど。
ケンが船に残した名言。
『音楽は僕のガソリンだからね。』
『一度きりの人生だからね。』
あまりの興奮に船から海へおしっこする始末。

幸か不幸か、船の中で誕生日を迎え、
皆様にバースデイソングを歌ってもらうのでした。
あ。そして蘇州号からもなぜかバースデイカード+Tシャツ。。。

かくして2泊3日の船旅は、まま過ぎていき。
それぞれが、それぞれの地へと旅立って行くのです。
がんばれトモくん。異国で花を咲かせましょう。
I'm in Hanoi / Vietnam now.
Still I cannot write japanese,
and What's more, I can't read japanese.
I don't have a guide book of Vietnam,
It means I've no infomation of here.
so, I don't know what I should do.
I've nothing to do.
The all thing I did tody is just walk around.
That's enough.
I'll leave here tomorrow for Laos.