2011年5月のエントリー 一覧

歯車・神様・列車の切符

旅先でのできごとは、いいコトもわるいコトも、全部偶然のつみかさね。
すごい偶然の重なりで、会うべき人と出会えたり、見るべき景色に出会えたり。
あるいは、歯車が少し狂っただけで、取り返しのつかない事態に陥ったり。
だからこそ面白い。

その偶然を前にして、何かを求めて行動する努力なんてすごくちっちゃなもので、
あるいは意味なんてないのかもしれない。

けど、何かが起こったときに、起こりそうなときに、それを逃さない力。
それは歯車をまわそうと、ちょっとの努力を続ける人の方が、
絶対に大きいんだと思う。 

と相変わらずウダウダな日々を過ごしている私ですが、

駅に切符を取りに行った帰りのリクシャで、
流れるこの街を見ていたらふと、笑顔になれたり。

夜中に宿の屋上でシヴァと話をしていたら、
すっと涼しい風に吹かれたり。

自分で歯車はまわせない僕なんかにも、
旅の神様はなぜかご褒美をくれたりします。

ということでそろそろ移動のとき。

バラナシでウダウダしすぎたせいで、カルカッタまでは飛行機使っちゃいます。
で、飛行機のチケットは昨日取れたのですが、
カルカッタ-ダッカの列車の切符はカルカッタじゃないと取れないらしい。

週に一本の国際列車。しかも出発明日なのに。

とりあえず今日午後カルカッタに飛んでみて。
ハウラー駅で列車の切符がとれるかどうか。

旅の神様、もうっちょっとだけ、お願いします。
だって、いつものことだけど、これ逃したら日本に帰れないんだもん。

 

 

ブッダ。

ブッダというトモダチがいます。

出会ったのは10年前、このバラナシです。

着いたその日にガンガーを探してた僕。場所を教えてくれた日本人。
その日の午後、ゴードリヤー近くで泣いてる彼女とばったり再会。
彼女がブッダ。
同宿の友達が旅立ってしまったらしい。

そんな縁で、僕もその宿に移ることになった。
その宿が、シヴァゲストハウス。今の宿です。

そしてその後デリーまで一緒に旅をすることに。
ブッダとはシヴァの屋上や、デリーまでの夜行列車でいっぱい話して。

日本に帰ってからも、
お互いが就職したり、転職したり、ブッダに子どもが産まれたり。
しつつ今もずっとトモダチ。というか兄弟に近いな。姉弟の。

いつも会うと、都内にいるのに空気が変わる。
会って話を聞くだけで、聞いてもらうだけで、
旅先の空気に包まれる。

それが二人で作り出してるものというよりは、
ブッダが引き出してくれてるんだと思ってた。

彼女とはいつかインドに一緒に行こうと。
むしろバラナシで待ち合わせようと。ずっと約束してたのだけど。

だから、約束破って僕が一人でバラナシに行くのだから、
今度こそ、僕が風を吹かせたげようと。吹かせられたら。
ってそう思ってるんだけど。

なかなかうまくはできそうにないな。

 

聖地☆バラナシ

そしてここ、ヒンドゥー教の聖地バラナシは、
僕にとっても旅の聖地。

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家々がひしめき合い、その間を細い路地が通っている。
路地は町中に網の目のようにはりめぐらされ
行き止まりかと思えば、
そこからさらに細い路地がいくつもわかれている。
まるで迷路のような街。
僕はとりつかれたようにその迷路を歩く。

小路は石畳になっていていろんなものが落ちている。
その細い細い小路を人や犬やリクシャや
とにかく世の中すべての モノが行きかっている。
たまに牛が横たわっていると通れなかったりする。

ふいに、本当にふいに、視界が開けて
すぐそこに大きな川が現れる。ガンガジス川だ。
聖なる川、ガンガー。
そこにもありとあらゆるものが流れる。
体を洗う人、沐浴する人、洗濯する人、泳ぐ子、
そのすぐ横をゴミや、糞や、死体が流れる。。。らしい。

らしい。。。僕は死体が流れているのは見たことがない。
沐浴も早起きしなかったので見たことない。
しかし、泊まっていた宿の水が干上がって、
シャワーを三日間も浴びれなくなり、
そのとき僕は一度だけガンガーに 入ったことがある。
もちろん体を洗うためだ。
インド人と一緒に体をゴシゴシ洗うのはいいが、
その横をゴミやプランクトンが 流れ、
みんな唾をはいてたので、果たして体が
洗う前よりもキレイになったのかはわからない。
ただし、その日の夕方から
熱にうなされたことだけは確かである。

                        インド旅行記より

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なんてことを前回の旅で、したり顔で書いていますが、
前回訪れたのは雨季後の9月。
で今は5月。インドは乾季で一番暑い季節です。

日中は40度を越えることもあり、早朝と日暮れ後しか歩けません。
それでも高い湿度で不快指数半端ない。
だから一日中宿か近くのカフェでへたっとしてます。
 
そうでもないとこ律儀に危険地区に指定して無駄に不安煽るより、
5月のインドにこそ、外務省は渡航延期勧告を出すべきです。
だって暑すぎるんだもん。

朝起きて、しゃーなしでご飯食べいって、
本読んだり、手紙書いたり、昼寝して。
しゃーなしでご飯食べいって、シャワー浴びてプジャー見て。

そんな生活をしてるのは、暑さのせいか、
はたまた10年前より、好奇心を失ったせいなのか。

食堂や、駄菓子屋さんや、客引きさん。
街にちょっとずつ顔見知りが増えるのは嬉しいけれど、
なにかがすごく欠けている。
 




 

そして翌朝6時過ぎ、

カトマンズを出て11時間でバスは無事、国境の町スノウリへ。

 

ここからはリキシャに乗って国境へ。

朝の景色は気持ちがいい。街をキレイに見せてくれます。

 

知らなければ通り過ぎてしまいそうなネパール側のイミグレで出国をし、

ゲートをくぐると、そこはまたインド。

またも商店みたいなイミグレで入国審査。無事インド入国(2日ぶり)。

 

目指すは聖なる川、ガンガーの街バラナシ。

 

ここからは乗り合いジープで半日。

ドイツ人、スウェーデン人パッカーと、目的不明のチベタン夫妻。

運転手と、その助手1人。

 

TATAトラックが通り過ぎるたび、ああここはインドだなと。

なつかしくも思えるわけです。

 

途中何度かの休憩を挟みますが、

どこからかハッパの匂いが。。

匂いのもとを辿っていくと、スウェーデン人がニヤリと笑う。

国境越えで持ち歩くなんてよっぽど好きなのね。

 

そこへ、かの助手も気づいたらしく、寄ってくる。

ふたりでニヤニヤしながら真昼間からまわし吸い。

 

その光景を見て。ああ。世界はまだまだ平和だな。

なんて思ってた休憩後。

運転手が助手席へ。ハンドルを握るのは先述の助手。

 

そこからは、スーパーマリオでいうところの、スター状態。

無敵のBダッシュで周りの車を蹴散らしていく。

 

ああ。

なんでこんなガンぎまりの奴の車に乗らなくちゃいけないんだろう。

旅の神様ひどすぎる。

けど、大丈夫。彼らにもきっと、チャクラがついているのだから。

 

ということで、午後3時。

カトマンズを出て約20時間で彼の地バラナシに無事着きましたとさ。

 

あ。もちろん僕はハッパとかやってませんよ。

いい歳してそんなのやったら、それだけでバット入っちゃいますから。

 

 

ということでカトマンズ着。

 

なぜか豪雨で着陸も危ぶまれたけど、なんとか到着。

インドでの不完全燃焼を晴らすべく、

ここでも空港から、へんな客引きに言われるがまま付いていってみる。

 

が、なぜか普通の安宿に到着し、普通の値段でチェックイン。

しかも意外に便利な立地。まったく旅の神様てば何を考えているんでしょう。

 

しかしてここは過ごしやすい。

インドの苛烈さに比べてネパール人の温厚さと勤勉さ。

何も考えずに過ごせます。

 

が、何も考えずに過ごすなんて。。ビーチリゾートに来たんじゃないやい。

 

あくる日僕は、怒りに任せて再びインド行きのバスチケットを無理やり取り。

その日の夜には国境に向けバスに飛び乗る。

 

しかしこのバス。ローカルバスと言いながら、ちゃんとしたバス。

窓もあるし、席も狭いながらちゃんとある。通路にもあんまり人は乗せない。

しいていうなれば、ワイパーがないくらい。

 

と思っていたら、あ。また雷。そして雨。

 

豪雨の中、ワイパーのないままに走り出すバス。

クラクションを響かせながら、他車を追い越し、

車体をきしませながら、ハイスピードで夜道を疾走するのでした。

 

修行の足りない僕には、にじんだライトしか見えないけれど、

きっと運転手には見えるのでしょう。

なぜなら彼らには第三の目、アジナーチャクラがついているから!!

 

ああしかしこの。ぶつかるかぶつからないか。

大型バスのデッドヒートだけは無形文化として、

今も変わらず続いているのだなと。安心しつつ。

 

無事にたどり着けますようにと。狭い車内で祈るばかりです。

 

 

2001年。初海外の地に選んだのはインド。

夜中に着いたデリーの空港は。薄暗くって穴ぼこだらけ。

不安と恐怖で外に放り出された僕を囲んだ黒い肌、白い目。無数の客引き。

いくつかの場所を連れまわされながらも、

やっとの思いでホテルまでたどり着いたのでした。

 

それから10年経った今でも、

デリーでは夜の到着時に事件に巻き込まれることが多いという。

 

クアラルンプールを夕方発った飛行機が、デリーについたのは夜9時過ぎ。

インド人に再び戦いを挑むべく、あえてホテルを取らずに臨んだ今回の旅。

 

がしかし。真新しいターミナルには、動く歩道がついていて。

コンビニやら旅行会社やらDutyfreeまで開いている。

市内まで行く時間はなかったので、空港のカウンターへ。

適当なホテルを適当な値段で取ってもらえた。

タクシー乗ったら、ちゃんとホテルまで運んでくれた。

ホテル行ったら、ちゃんと交渉通りの料金しか請求されなかった。

なんだここ。インドじゃないじゃない。

 

そして翌朝。またも時間通りに迎えのタクシーがちゃんと来て、

カトマンズに飛ぶために再び空港へ。

しかも紛失したEチケットも無料で再発行。

当たり前のことが当たり前にできている。。。

当たり前が当たり前じゃないって教えてくれた母なるインドは今どこへ。

 

なんだか腑に落ちないままにチェックインを待つ列へ。

ふと見ると、となりの列にぽつりとかばんが落ちている。

布製の黒いかばんが床に。ただただ放置されている。

 

そのうち警察官が現れ無線連絡。遠巻きにわらわら集まる警察官。

誰も手を触れようとしない。

インドとパキスタンは長い間、紛争状態にあり。

カシミールの独立勢力は爆破テロを繰り返している。

この真新しいターミナルがテロの対象となっても不思議ではない。

 

殺傷力は、3人死亡、12人負傷みたいなコンパクトサイズ。

僕からの距離1m20cm。

距離的には結構な確率で死亡のほうにリスト入り。

あわー。せっかく帰りのチケット、バンコク経由で取ったのに。

直行便の、しかも貨物室で帰るのかと。

しかも事件の大きさ的には、なんというか、すごく地味めだ。。

 

そう思った刹那。足音を立てて走り寄る3人の小さな女の子。

笑いながらかばんを拾って去っていった。。

 

や。てかね。爆発物が云々よりも。

かばん落ちてるのに誰も盗まないことにびっくりでしょ。

あの抜き差しならないインドはどこへ。

 

その謎をとく暇も無く、僕をのせた飛行機は、カトマンズへ向け飛び立ったのです。

(しかもやっぱり定刻どおりに。)

 

@katmandu

I'm at katmandu in nepal now.

 

yesterday i gat here. and i leave here in 2hours to border of india.

cause im not interested in ktm...

i dont know when i get there. cause its a local bus..

but about in 2days ill be india maybe.

 

seeya

 

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